16.箕輪城 その2

城がどう発展したのか現地で見ることができます

特徴、見どころ

城の古い部分

現在、箕輪城跡はビジター向けによく整備されています。もし車をお持ちでしたら城跡の脇に観光客向けの駐車場がいくつかあり、そこに停めることができます。一番大きな駐車場は、城があった丘の東側の麓にあります。その駐車場からでしたら緩やかに曲がる坂を登っていきます。そこはかつては搦手道でした。そうするとまず城の主要部の一つ、二の丸に着きます。

城周辺の地図

搦手口
二の丸へ

城の主要部には南から北に向かって、二の丸、本丸、御前曲輪が並んでいます。これらの曲輪は基本的に分厚い土塁に囲まれており、深い空堀によって隔てられています。城の中でも古い部分です。かつては城主の御殿が築かれていた本丸の方に歩いて行ってみると、最近復元された城の西側とをつなぐ木橋が見えます。

本丸
本丸にある城名の石碑
城の西側部分に渡る木橋
本丸の土塁と御前曲輪との間にある空堀

更に進んでいくと御前曲輪に至ります。ここは長野氏が最後を迎えた場所でした。その曲輪には井戸があるのですが、1927年に発見され、その底からは多くの長野氏の位牌が見つかったのです。これにより、長野氏が滅亡したときのエピソードが証明されたような形になりました。

御前曲輪
長野氏の位牌が見つかった井戸

広大な空堀

御前曲輪の北端からは、急な小道を伝って空堀の底に降りていくことができます。そこから右折して東の方に向かうと、井伊直政が築いた稲荷曲輪に至ります。この曲輪の横にはかつては水堀がありました。

御前曲輪から空堀に降ります
御前曲輪北の空堀の底
稲荷曲輪と水堀があったと思われる場所

元の所に戻って左折して西の方に向かうと、空堀の底を歩いて行きますが、空堀の大きさと深さを実感できます。その途中の御前曲輪に当たる場所では、長野氏が築いたかもしれない古い石垣も目にすることができます。道なりに南の方に進んでいくと、二の丸に戻っていきます。

広大な空堀の底
御前曲輪下の石垣
木橋の下を通って二の丸の方に戻ります

後から整備された馬出

二の丸は、攻撃と防御の要の場所でした。城に向かう3つの主要ルートが皆ここに集まっているのです。東からの搦手道以外では、大手道が西から、もう一つのルート(大手尾根筋)が南からここに来ています。特筆すべきは、敵の攻撃を防ぐために、この曲輪の南側に大堀切と呼ばれる大規模な堀切が設けられていることです。

大堀切
大堀切の底
大堀切土橋下の石垣

細い土橋だけが堀切を渡って、南側のルートにつながっています。更には、郭馬出と呼ばれる四角い陣地が二の丸から土橋に沿って突き出しています。馬出とは、武田氏や徳川氏がよく採用していた独特の防御システムです。箕輪城にあるこの仕組みは、恐らく武田によって作られ、徳川配下の直政によって完成されたのでしょう。発掘の成果に基づき、郭馬出西虎口門と呼ばれる2階建ての櫓門が最近になって復元されました。かつては城のシンボルとされていました。

大堀切を渡る土橋
郭馬出
復元された櫓門
南側から見た郭馬出

「箕輪城その3」に続きます。
「箕輪城その1」に戻ります。

141.Gujo-Hachiman Castle Part3

The oldest wooden rebuilt Main Tower

Features

Pine Enclosure and Back in Castle

Other than the Main Tower, you can visit the neighboring Pine Enclosure through the path on the upper tier of the Belt Enclosures. There is a monument of the Ryosotai Party which escaped the Gujo Domain which supported the New Government during the Meiji Restoration. They joined the domains supporting the shogunate and fought against the New Government Army located Wakamatsu Castle.

The upper tier Belt Enclosure as the path connecting the Cherry Enclosure and the Pine Enclosure
Going to the Pine Enclosure through the upper tier Belt Enclosure
The inside of the Pine Enclosure
The monument of the Ryosotai Party

The parking on the top was one of the ditches behind the castle where most of the fierce fightings happened in 1600. There is a well in the ruins, which was said to have been used to wash the head of slain warriors in battle.

The parking lot on the top
The ruins of the well for washing the head

Later History

After the Meiji Restoration, Gujo-Hachiman Castle was eventually abandoned and all the castle buildings were demolished. In 1932, the mayor, Chuhei Nakagami suggested the Main Tower be rebuilt in order to revitalize the town. Other people agreed with him and began making donations. The tower was constructed using the external design plans of Ogaki Castle whose Main Tower remained at that time, however it would be burned down by an air raid in 1945. People also considered how the tower would have looked like when they look up at it from the town. The rebuilt tower was finally completed in 1933.

The old photo of Ogaki Castle, the Main Tower on the right (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
The rebuilt Main Tower of Gujo-Hachiman Castle

My Impression

When I visited Gujo-Hachiman town, I thought the purpose of the town was to successfully built a beautiful castle as its symbol. You can see a good view of the Main Tower from any parts of the town. I also finally understood that no matter weather the original tower was there or not, the castle is still very important and much needed by the people of the town.

A view of the Main Tower from the town
Stone walls of the Belt Enclosures
A view from the Main Tower

How to get There

If you want to visit the castle by car, it is about 15 minutes away from Gujo-Hachiman IC on the Tokai-Hokuriku Expressway. There are several parking lots for visitors aroud the castle.
By public transportation, it takes about 20 minutes on foot from the Gujo-Hachiman Jokamachi Plaza.
To get to the plaza from Tokyo or Osaka: Take the Tokaido Shinkansen Super Express, transfer to Tokaido Local Line at Nagoya Station and get off at Gifu Station. Then, take the Gifu bus on the highway Hachiman line and get off at the Jokamachi Plaza bus stop.

The parling lot at the foot of the mountain
The parking lot at halfway up

That’s all. Thank you.
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141.郡上八幡城 その3

最古の木造再建天守

特徴、見どころ

松の丸、城の裏手

天守の他には、腰曲輪の上段にある通路を通って、松の丸に行ってみることもできます。そこには「凌霜隊(りょうそうたい)」の記念碑があります。この隊は、明治維新のとき、郡上藩が新政府を支持した際、脱藩しました。そして、若松城で新政府軍と戦っていた、幕府を支持する諸藩の軍に加わったのです。

腰曲輪上段(桜の丸と松の丸の間の通路)
腰曲輪上段を通って松の丸へ移動
松の丸の内部
凌霜隊の記念碑

頂上にある駐車場は、もとは城の背後にあった堀切の一つでした。そこでは、1600年の戦いにおいて激戦が展開されました。そこには井戸の跡があり、戦いで戦死した武士の首を洗った場所だと言われています。

頂上にある駐車場
「首洗い」井戸跡

その後

明治維新にしたがって郡上八幡城は廃城となり、全ての城の建物は撤去されました。1932年、当時の八幡町長であった仲上忠平(なかがみちゅうへい)は、町の活性化のために天守を再建することを提案しました。他の町民も賛成し、再建のための寄付が募られました。その再建天守は、その当時現存していた大垣城天守の外観を参考に建設されました。しかし、その大垣城の天守は1945年の大垣空襲により焼け落ちてしまうのです。また再建天守は、町から見上げた時にどのように見えるかということも考慮して建てられました。その再建が完成したのは1933年のことです。

大垣城の古写真、右側が天守 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
郡上八幡城の再建天守

私の感想

郡上八幡を訪れてみて、美しい城を街のシンボルとして築いた、その目的は十分達成されているように思いました。街のどこからでも天守のよき姿を望むことができるからです。そして、オリジナルの天守がそこにあろうとなかろうと、この城は街の人たちにとって今でもとても大切で、欠くべからざる存在なのだということがわかりました。

街から見える天守
腰曲輪の石垣
天守からの眺め

ここに行くには

車で行く場合は東海北陸自動車道の郡上八幡ICから約15分かかります。
公共交通機関を使う場合は、郡上八幡城下町プラザから歩いて約20分かかります。
東京か大阪から城下町プラザまで:東海道新幹線に乗り、名古屋駅で東海道線に乗り換え、岐阜駅で降ります。そして、岐阜バス高速八幡線に乗り、城下町プラザバス停で降りてください。

山麓にある駐車場
山の中腹にある駐車場

リンク、参考情報

郡上八幡城 日本最古の木造再建城
・「新 八幡城ものがたり(改訂版)」郡上市
・「よみがえる日本の城16」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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