97.鹿児島城 その3

武士と城の時代が終わった場所

特徴、見どころ

物悲しい西郷洞窟

最後に、西郷隆盛と西南戦争の最後の場所となった西郷洞窟を訪れてみてはいかがでしょうか。この場所は、市街地と山の頂上を結ぶ車道の中間地点にあります。したがって、頂上まで行くときかそこから帰るときかどちらでもよいでしょう。ここも著名な史跡となっていますが、そこには崖に沿っていくつか洞窟が並んでいるだけです。洞窟を見ていると、西郷とのその兵たちが城のような場所でなく、このような場所を最後の地に選ばざるをえなかったことに悲しさを覚えるかもしれません。

城周辺の起伏地図

西郷洞窟沿いの車道
西郷洞窟

その後

西南戦争では、二の丸にあった城の現存建物も焼けてしまいました。その後、山麓の城跡は鹿児島大学のような学校施設として使われました。鹿児島大学が他の地へ移転した後は、1983年に本丸に黎明館が開館しました。史跡としては、城山の部分が1931年に最初に国の史跡に指定されました。更には、山麓の部分が最近の発掘の成果をもとに国の史跡に追加指定されました。鹿児島県は将来、櫓や堀(一部埋められていた部分)のような本丸の他の構造物の復元を検討しているところです。

城山への歩道から見た黎明館
鹿児島城本丸の夜景

私の感想

西郷洞窟を見たとき、西郷はまるでゲリラ戦をしたかのように感じました。もし西郷が戦国時代に最後の戦いをしようとしていたら、1615年の大坂城での大坂夏の陣の豊臣氏のように天守のような城の建物に籠城していたでしょう。または、1333年の千早城の戦いでの楠木正成のように山上に立てこもっていたでしょう。しかし、それらの時代からは状況や技術が大きく変わってしまっていたのです。西南戦争は、武士の時代の終わりとともに、(本来の使われ方という意味での)日本の城の時代の終わりを示していたのだと思います。

西郷の最後の戦いの場所
大坂夏の陣図屏風、大阪城天守閣蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
千早城合戦図、歌川芳員筆、江戸時代、湊川神社蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここに行くには

車で行く場合:九州自動車道の鹿児島北ICから約20分かかります。城跡周辺にいくつか駐車場があります。黎明館に入館する方は、そこの駐車場を使うこともできます。
公共交通機関を使う場合は、鹿児島中央駅から鹿児島シティビューバスに乗って薩摩義士碑前バス停で降りるか、鹿児島駅前行きの市電に乗って市役所前停留所で降りてください。
福岡から鹿児島中央駅まで:九州新幹線に乗ってください。
東京から鹿児島中央駅まで:飛行機で鹿児島空港に行き、高速バスに乗ってください。

市電市役所前停留所

リンク、参考情報

鹿児島県歴史・美術センター黎明館、鹿児島県
・「よみがえる日本の城18」学研
・「日本の城改訂版第128、155号」デアゴスティーニジャパン
・「戦況図解 西南戦争/原口泉監修」サンエイ新書

これで終わります。ありがとうございました。
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190.Yatsushiro Castle Part3

The more I learn about the castle, the more I want to go back and visit again.

Features

Other Attractions than Main Enclosure

Other than the Main Enclosure, the others were turned into the city area. However, some traces of the castle can be seen in several places. For example, the former Second Enclosure, located in the east of the Main Enclosure, is used for modern buildings such as the city hall. The area is surrounded by low stone walls, which were probably re-piled using excavated stones. Some of them look new and very white!. It could be because they had been buried for a long time before they were found.

The map around the castle

Yatsushiro City Hall and the stone walls surrounding it
There are some pure white stones

The Northern Enclosure, located in the north of the Main Enclosure, was used as the retreat residence of Sansai Hosokawa and the home of the Matsui Clan later. There are still some stone walls surrounding it, which look original. The inside of it is used as Matsui Srine which worships the clan’s ancestors.

The stone walls surrounding the Northern Enclosure
The inside of the Northern Enclosure
Matsui Shrine

Later History

After the Meiji Restoration, Yatsushiro Castle was abandoned and all the castle buildings were demolished. Few of them were moved and remain in other places. Most of the castle land was turned into the city area with its moats being filled, while Yatsushiro Shrine was built in the Main Enclosure in 1884. As a result, the group of the three castles, which were called Yatsushiro Castle in each period, as Furufumoto, Mugishima, and present time Yatsushiro Castle, have been designated as a National Historic Site together since 2014.

The entrance of Yatsushiro Shrine, built in the Meiji Era

My Impression

I didn’t know about Yatsushiro Castle at all before my visit. I was first surprised to see the good combination of white stone walls and green water. Then, I understood the elaborate defense system, contributed by the Masugata space. Finally, I enjoyed the great view of the Main Tower stone wall base. After visiting, I learned the two other castles, called Yatsushiro Castle earlier on, and the history of land reclamation in Yatsushiro. In the Edo Period, white stone walls like the castle were built for embankments. I would like to visit the area again some day to see the three Yatsushiro Castles and the white stone walls somewhere.

The stone walls and the Inner Moat at the northern side of the Main Enclosure
Ruins of the land reclamation in Edo Period in Yatsushiro, called Kochuhi

How to get There

If you want to visit the castle by car, it is about a 6km drive away from Yatsushiro IC on the Kyushu Expressway. There is a parking lot beside the northeastern corner of the Main Enclosure.
If you want to use public transportation, you can take the Sanko Bus bound for Yatsushiro-Sanko from Yatsushiro Station and get off at the Yatsushirogu-mae bus stop to get there.
From Fukuoka to Yatsushiro Station: Take the Kyushu Shinkansen super express and transfer to the Kagoshima Line at Shin-Yatsushiro Station.

The parking lot of the castle ruins for visitors
Yatsushiro Station

That’s all. Thank you.
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190.八代城 その3

城のことを学ぶほど、また行きたくなってしまいます。

特徴、見どころ

本丸以外のチェックポイント

本丸以外の曲輪は市街地となっています。しかしいくつかの場所で城の痕跡が残っています。例えば、本丸の東側にある以前二の丸だった場所には、市役所などの現代的建物が立っています。このエリアは低い石垣によって囲まれています。恐らくは発掘された石を使って再度積み直されているのでしょう。ある部分は新しく見え、且つとても白い色をしています。長い間埋められていたため劣化せず、現代になって見つかり、このように使われたのではないかと推察します。

城周辺の地図

八代市役所と周りを囲む石垣
真っ白な石もあります

本丸の北側にある北の丸は、細川三斎の隠居所として使われ、その後は松井氏の住居となりました。現在でもそこを囲むオリジナルらしき石垣がいくらか残っています。中は現在では、松井氏の先祖を祀る松井神社となっています。

北の丸を囲む石垣
北の丸の内部
松井神社

その後

明治維新後、八代城は廃城となり、全ての城の建物は撤去されました。その内のいくつかは他の場所に移され、現存しています(本丸にあった高麗門など)。ほとんどの城の敷地は市街地となり、堀も同様に埋められました。本丸には1884年に八代宮が設立されています。現在では2014年以来、それぞれの時代に八代城と呼ばれた3つの城(古麓城、麦島城、現在の八代城)が一括して国の史跡に指定されています。

明治時代に作られた八代宮の入口

私の感想

八代城に行く前は、この城のことを全く知りませんでした。行ってみてまず驚いたのは白さが残っている石垣と緑色に見える内堀との組合せが絶妙ということでした。それから、桝形によって巧みに作られた防御システムがあることもわかりました。おまけに、天守台石垣のすばらしい姿も鑑賞できました。城巡りから帰って、以前に八代城と呼ばれた別の2つの城があること、八代平野にはその後の干拓の歴史があることも知りました。江戸時代には、城にあるような白い石垣を使って堤防が作られたそうです。いつかまた、今度は3つの八代城と、八代平野のどこかにある白い石垣を見に行ってみたいです。

裏門(北)側の石垣と内堀
江戸時代の干拓遺跡、江中樋(こうちゅうひ)、八代市ホームページより引用

ここに行くには

車で行く場合:九州自動車道の八代ICから約6kmのところです。本丸の北東角のところに駐車場があります。
公共交通機関を利用する場合は、八代駅から八代産交行き産交バスに乗って、八代宮前バス停で降りてください。
福岡から八代駅まで:九州新幹線に乗って、新八代駅で鹿児島本線に乗り換えてください。

城跡にある駐車場
八代駅

リンク、参考情報

八代城跡(国指定)、八代市観光情報
・「よみがえる日本の城12」学研
・「日本の城改訂版第57号」デアゴスティーニジャパン
・やつしろ文化遺産ガイドブック「八見伝」
・YouTube 八代市公式チャンネル「八代城築城400年記念連続講座」

これで終わります。ありがとうございました。
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