15.足利氏館 その3

寺になったことで館跡として今に残ったのでしょう。

特徴、見どころ

足利学校

足利学校は、鑁阿寺の南西となりにあります。この学校は儒教の教育を行っていましたが、室町時代に現在の地に移転してきて、戦国時代には3千人もの生徒がいたと言われています。現存している建物としては聖廟や門(入徳・学校・杏壇の三門)がありますが、他の校舎などの建物や土塁・堀は最近になって復元されたものです。その姿は、鑁阿寺よりも武士の館のように感じられるかもしれません。

城周辺の地図

足利学校の現存する入徳門
足利学校の現存する聖廟
復元された足利学校の校舎
復元土塁と水堀に囲まれた足利学校

樺崎寺跡

樺崎寺跡(現在の樺崎八幡宮)は、鑁阿寺の北東、約5kmの場所にあります。樺崎寺は、もともと足利義兼の隠居所として建てられましたが、足利氏にとって最も聖なる奥の院とされました。しかし明治維新後は、鑁阿寺と同じ理由で衰退し、たった一つの建物が残るだけとなりました。この場所は最近になって発掘され、史跡として整備が進められています。ここでは、多宝塔や御廟などの基礎部分(礎石)を見学することができ、つまりは昔は鑁阿寺と同じような光景であったかもしれないのです。更には、史跡からは復元された石段が、これも復元された浄土式庭園に向かって下っています(ビジターは通れません)。この形式の庭園は、施主がその庭に浄土の姿を再現し、死後に本物の浄土に行けるように願ったことを示しています。この庭園は恐らく、義兼の宗教観を表していると考えられます。

樺崎八幡宮の建物
多宝塔跡
御廟跡
復元された浄土式庭園
復元された石段(右側)

私の感想

足利氏館跡を訪れたとき、少々複雑な思いを持ちました。そこには城として特筆すべきものはありませんが、その代わりに寺として残っています。もしこの館が館として使い続けられていたとしたら、戦いの場となったり用途変更により今に残ることはなかったのではないでしょうか。よって、館が寺に変わったことにより、稀に見るまでに一ヶ所にこのような多くの古い建物が残っているのだと思いました。

鑁阿寺の本堂

ここに行くには

車で行く場合:北関東自動車道の足利ICから約15分のところです。館跡近くの観光案内所「太平記館」にビジター向け駐車場があります。樺崎寺跡にも行こうとするならば、車を使った方がよいでしょう。
公共交通機関を使う場合は、JR足利駅か、東武線の足利市駅から歩いて約10分から15分かかります。
東京からJR足利駅まで:東北新幹線に乗って、小山駅で両毛線に乗り換えてください。
東京から東武足利市駅まで:東京駅からJR上野東京ラインに乗って、北千住駅で特急りょうもう号に乗り換えてください。

リンク、参考情報

国宝 鑁阿寺
・「人を歩く 足利尊氏と関東/清水克行著」吉川弘文館
・「下野足利氏 シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻/田中大喜著」戎光祥出版

これで終わります。ありがとうございました。
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196.佐土原城 その3

この城跡に出かける前にはどこまで行けるのか確認しておきましょう。

特徴、見どころ

一部通行可能な大手道

山上へ向かう大手道は、2023年5月の時点では修復中のため途中から通行止めになっています。そのため、このルートの全部を通ってみることはまだできません。しかし、山麓から修復地点の手前まで登って行くか、頂上の方から下ってみることはできます。このルートは基本的に山の別の峰に沿って進んでいて、その入口部分は両側を垂直に削られた崖に囲まれた、大きく且つ深い谷の底を通っています。現代のビジターは築城者の見事な仕事による素晴らしい景色を楽しむことができますが、過去にこの城を攻撃しようとする敵にとっては、守備側からどのような反撃を受けるのか脅威に感じたでしょう。入口からは狭い道が、峰を右側に見ながら続いていて、過去には守備兵がその峰から攻撃してきたでしょうし、現代では土砂崩れが発生して道を簡単に壊してしまいそうです。

城周辺の地図

大手道への案内板
大手道入口
右側の峰に沿って進んでいきます
ここから通行止めです

修復地点から上の方は、大手道は右に曲がってもう一つの峰を越えて本丸に至ります。その峰を越える部分には、人工の堀切が掘られていて、その地点も防衛拠点となっていました。

大手道は堀切を越えて本丸に至ります
堀切から下の通行止め地点

その後

明治維新により、佐土原藩の親戚筋である薩摩藩が、日本の政治の実権を握りました。両藩の藩主はもともと同じ島津氏であったことで、佐土原藩も維新の事業に加わりました。佐土原藩の最後の藩主となった島津忠寛(ただひろ)は、本拠地をより便利な地である広瀬に移そうとしました。彼は1869年に、そこに新しい城の建設を始め、佐土原城を廃して建物は全て撤去されました。ところが1871年に中央政府が廃藩置県を行うことになり、工事は中止となってしまいました。

島津忠寛写真、「宮崎県史 別編 維新期の日向諸藩」より  (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

佐土原城跡は長い間、恐らく山麓の平地だけでしょうが、畑地となっていました。その平地にあった二の丸の発掘が1989年に行われ、1993年にはそこにあった御殿が復元されました。本丸の発掘も1996年に行われ、天守台の基礎部分が発見され、それとともに天守でよく使われた金箔瓦も見つかっています。それをもって、今のところ佐土原城には日本で一番南に位置する天守があったのではないかとされています。それらの成果をもとに、2004年に城跡は国の史跡に指定されました。

山上の本丸

私の感想

私は、佐土原城跡に都合3回行っています。最初は何年も前であまりよく覚えていません。2回目の訪問は2022年で、自然災害により山上への2つのルートが全て通行止めになった直後でした。とてもがっかりしました。そのニュースも、シラス台地の崩れやすい性質のことも全然知らなかったのです。1つのルートが再開したというよい知らせを聞いてから、やっと山上を再び訪れることができました。そのとき山頂周辺を歩き回ったのですが、まだ通行止めになっている箇所があり、通路の脇には倒木がありました。そのことで、この城跡を維持する難しさと、それが敵が攻めてくるのを防ぐことにもなっていたのだと実感しました。もし、この城跡に行かれるのでしたら、道が開いているかどうかチェックしてから出発してください。

もう一つの主要曲輪、南の城は立ち入り禁止でした
竹ではありますが、風雨でたくさん倒れていました

ここに行くには

車で行く場合:東九州自動車道の西都ICから約10分のところです。城跡の前に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、宮崎駅から西都バスセンター行きの宮崎交通バスに乗って、交流センター前バス停で降りてください。
東京または大阪から宮崎駅まで:飛行機で宮崎空港に行ってから、宮崎空港線に乗ってください。

復元御殿前の駐車場

リンク、参考情報

宮崎市佐土原歴史資料館
・「よみがえる日本の城18」学研
・「日本の城改訂版第89号」デアゴスティーニジャパン
・「三位入道(短編集「奥羽の二人」より)/松本清張著」講談社

これで終わります。ありがとうございました。
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198.知覧城 その3

この城から強い印象を受けました。

特徴、見どころ

より強力な本丸の防御力

右側の本丸と蔵ノ城のグループは更に防御が強力でした。そこに行ってみると、この曲輪群は2段構成になっていることがわかります。まず、第1の桝形を通り過ぎ、下段部分に着きます。そこから2つの曲輪の頂上部分に進んでいきます。それぞれの曲輪は、前段落で述べたような、今城と同じ防御の仕組みになっていました。敵は、2つの桝形の入口を突破しなければなりません。

南九州市ホームページの知覧城縄張り図に、本丸、蔵ノ城へのルート(赤矢印)を追記

本丸の内部は、同じように空地になっていて、知覧城の石碑が立っているだけです。蔵ノ城は、城に関する最近の発掘調査が主に行われた場所です。発掘の結果、何らかの建物の土造りの基礎と、中国やタイから輸入された陶磁器の大量の破片が見つかっています。そのために、地面の上に建物の柱が部分的に復元展示されています。木々や茂みのため、残念ながら曲輪からの視界はよくありません。この城のもろい地盤からなる自然条件を考えると、景観を改善するための整備は難しいかもしれません。

本丸の内部  (licensed by Mizushimasea via Wikimedia Commons)
蔵ノ城の内部、南九州市ホームページより引用
現地で発掘された中国製陶磁器の破片、現地説明版より

その後

第二次世界大戦の間、知覧城跡は崖に穴を掘ることにより防空壕として使われていました。城跡としては、1992年に発掘調査が始まりました。それにより、元からあった空堀、桝形、建物の基礎、その他多くの遺物が見つかりました。その結果、1993年には国の史跡に指定されました。更には1998年に発掘が再開され、2005年には蔵ノ城で、遺跡保存と現地展示のための整備が行われました。

城跡入口にある案内板

私の感想

この城跡に行く前には、知覧城のことは全く知りませんでした。行ってみると、この地域特有の自然条件を生かしてこのような城が築かれたことに大変驚きました。これは先人の知恵であり、尊敬すべきことです。こういうことに出会えることが、城巡りの醍醐味の一つでもあります。蛇足ですが帰ってきてから、スマホで撮っていた僅かの分を残し、カメラで撮った全ての写真を誤って消去してしまいました。通常私は自分で撮った写真を見ながら城の記事を書くのですが、今回はこの知覧城の記事を、本、パンフレット、他のウェブサイトを見ながらなんとか仕上げることができました。それはこの城から受けた強い印象が残っていたからです。

知覧城跡
佐土原城跡、シラス台地に築かれた城の一例

ここに行くには

車で行く場合:指宿スカイラインの知覧ICから約20分かかります。
城跡の入口周辺に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、鹿児島中央駅前の東16番バス乗り場から、知覧行きの鹿児島交通バスに乗り、知覧武家屋敷側から城跡に行かれる方は中郡バス停で、旧知覧飛行場側から行かれる方は特攻観音入口バス停で降りてください。それぞれのバス停から歩いて約20分かかります。
福岡から鹿児島中央駅まで:九州新幹線に乗ってください。
東京から鹿児島中央駅まで:飛行機で鹿児島空港に行き、高速バスに乗ってください。

城跡にある駐車場
中郡バス停

リンク、参考情報

国指定史跡 知覧城跡、鹿児島県南九州市
・「戦国の山城を極める 厳選22城/加藤理文 中井均著」学研プラス
・「よみがえる日本の城18」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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