198.知覧城 その3

この城から強い印象を受けました。

特徴、見どころ

より強力な本丸の防御力

右側の本丸と蔵ノ城のグループは更に防御が強力でした。そこに行ってみると、この曲輪群は2段構成になっていることがわかります。まず、第1の桝形を通り過ぎ、下段部分に着きます。そこから2つの曲輪の頂上部分に進んでいきます。それぞれの曲輪は、前段落で述べたような、今城と同じ防御の仕組みになっていました。敵は、2つの桝形の入口を突破しなければなりません。

南九州市ホームページの知覧城縄張り図に、本丸、蔵ノ城へのルート(赤矢印)を追記

本丸の内部は、同じように空地になっていて、知覧城の石碑が立っているだけです。蔵ノ城は、城に関する最近の発掘調査が主に行われた場所です。発掘の結果、何らかの建物の土造りの基礎と、中国やタイから輸入された陶磁器の大量の破片が見つかっています。そのために、地面の上に建物の柱が部分的に復元展示されています。木々や茂みのため、残念ながら曲輪からの視界はよくありません。この城のもろい地盤からなる自然条件を考えると、景観を改善するための整備は難しいかもしれません。

本丸の内部  (licensed by Mizushimasea via Wikimedia Commons)
蔵ノ城の内部、南九州市ホームページより引用
現地で発掘された中国製陶磁器の破片、現地説明版より

その後

第二次世界大戦の間、知覧城跡は崖に穴を掘ることにより防空壕として使われていました。城跡としては、1992年に発掘調査が始まりました。それにより、元からあった空堀、桝形、建物の基礎、その他多くの遺物が見つかりました。その結果、1993年には国の史跡に指定されました。更には1998年に発掘が再開され、2005年には蔵ノ城で、遺跡保存と現地展示のための整備が行われました。

城跡入口にある案内板

私の感想

この城跡に行く前には、知覧城のことは全く知りませんでした。行ってみると、この地域特有の自然条件を生かしてこのような城が築かれたことに大変驚きました。これは先人の知恵であり、尊敬すべきことです。こういうことに出会えることが、城巡りの醍醐味の一つでもあります。蛇足ですが帰ってきてから、スマホで撮っていた僅かの分を残し、カメラで撮った全ての写真を誤って消去してしまいました。通常私は自分で撮った写真を見ながら城の記事を書くのですが、今回はこの知覧城の記事を、本、パンフレット、他のウェブサイトを見ながらなんとか仕上げることができました。それはこの城から受けた強い印象が残っていたからです。

知覧城跡
佐土原城跡、シラス台地に築かれた城の一例

ここに行くには

車で行く場合:指宿スカイラインの知覧ICから約20分かかります。
城跡の入口周辺に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、鹿児島中央駅前の東16番バス乗り場から、知覧行きの鹿児島交通バスに乗り、知覧武家屋敷側から城跡に行かれる方は中郡バス停で、旧知覧飛行場側から行かれる方は特攻観音入口バス停で降りてください。それぞれのバス停から歩いて約20分かかります。
福岡から鹿児島中央駅まで:九州新幹線に乗ってください。
東京から鹿児島中央駅まで:飛行機で鹿児島空港に行き、高速バスに乗ってください。

城跡にある駐車場
中郡バス停

リンク、参考情報

国指定史跡 知覧城跡、鹿児島県南九州市
・「戦国の山城を極める 厳選22城/加藤理文 中井均著」学研プラス
・「よみがえる日本の城18」学研

これで終わります。ありがとうございました。
「知覧城その1」に戻ります。
「知覧城その2」に戻ります。

97.鹿児島城 その3

武士と城の時代が終わった場所

特徴、見どころ

物悲しい西郷洞窟

最後に、西郷隆盛と西南戦争の最後の場所となった西郷洞窟を訪れてみてはいかがでしょうか。この場所は、市街地と山の頂上を結ぶ車道の中間地点にあります。したがって、頂上まで行くときかそこから帰るときかどちらでもよいでしょう。ここも著名な史跡となっていますが、そこには崖に沿っていくつか洞窟が並んでいるだけです。洞窟を見ていると、西郷とのその兵たちが城のような場所でなく、このような場所を最後の地に選ばざるをえなかったことに悲しさを覚えるかもしれません。

城周辺の起伏地図

西郷洞窟沿いの車道
西郷洞窟

その後

西南戦争では、二の丸にあった城の現存建物も焼けてしまいました。その後、山麓の城跡は鹿児島大学のような学校施設として使われました。鹿児島大学が他の地へ移転した後は、1983年に本丸に黎明館が開館しました。史跡としては、城山の部分が1931年に最初に国の史跡に指定されました。更には、山麓の部分が最近の発掘の成果をもとに国の史跡に追加指定されました。鹿児島県は将来、櫓や堀(一部埋められていた部分)のような本丸の他の構造物の復元を検討しているところです。

城山への歩道から見た黎明館
鹿児島城本丸の夜景

私の感想

西郷洞窟を見たとき、西郷はまるでゲリラ戦をしたかのように感じました。もし西郷が戦国時代に最後の戦いをしようとしていたら、1615年の大坂城での大坂夏の陣の豊臣氏のように天守のような城の建物に籠城していたでしょう。または、1333年の千早城の戦いでの楠木正成のように山上に立てこもっていたでしょう。しかし、それらの時代からは状況や技術が大きく変わってしまっていたのです。西南戦争は、武士の時代の終わりとともに、(本来の使われ方という意味での)日本の城の時代の終わりを示していたのだと思います。

西郷の最後の戦いの場所
大坂夏の陣図屏風、大阪城天守閣蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
千早城合戦図、歌川芳員筆、江戸時代、湊川神社蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここに行くには

車で行く場合:九州自動車道の鹿児島北ICから約20分かかります。城跡周辺にいくつか駐車場があります。黎明館に入館する方は、そこの駐車場を使うこともできます。
公共交通機関を使う場合は、鹿児島中央駅から鹿児島シティビューバスに乗って薩摩義士碑前バス停で降りるか、鹿児島駅前行きの市電に乗って市役所前停留所で降りてください。
福岡から鹿児島中央駅まで:九州新幹線に乗ってください。
東京から鹿児島中央駅まで:飛行機で鹿児島空港に行き、高速バスに乗ってください。

市電市役所前停留所

リンク、参考情報

鹿児島県歴史・美術センター黎明館、鹿児島県
・「よみがえる日本の城18」学研
・「日本の城改訂版第128、155号」デアゴスティーニジャパン
・「戦況図解 西南戦争/原口泉監修」サンエイ新書

これで終わります。ありがとうございました。
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190.八代城 その3

城のことを学ぶほど、また行きたくなってしまいます。

特徴、見どころ

本丸以外のチェックポイント

本丸以外の曲輪は市街地となっています。しかしいくつかの場所で城の痕跡が残っています。例えば、本丸の東側にある以前二の丸だった場所には、市役所などの現代的建物が立っています。このエリアは低い石垣によって囲まれています。恐らくは発掘された石を使って再度積み直されているのでしょう。ある部分は新しく見え、且つとても白い色をしています。長い間埋められていたため劣化せず、現代になって見つかり、このように使われたのではないかと推察します。

城周辺の地図

八代市役所と周りを囲む石垣
真っ白な石もあります

本丸の北側にある北の丸は、細川三斎の隠居所として使われ、その後は松井氏の住居となりました。現在でもそこを囲むオリジナルらしき石垣がいくらか残っています。中は現在では、松井氏の先祖を祀る松井神社となっています。

北の丸を囲む石垣
北の丸の内部
松井神社

その後

明治維新後、八代城は廃城となり、全ての城の建物は撤去されました。その内のいくつかは他の場所に移され、現存しています(本丸にあった高麗門など)。ほとんどの城の敷地は市街地となり、堀も同様に埋められました。本丸には1884年に八代宮が設立されています。現在では2014年以来、それぞれの時代に八代城と呼ばれた3つの城(古麓城、麦島城、現在の八代城)が一括して国の史跡に指定されています。

明治時代に作られた八代宮の入口

私の感想

八代城に行く前は、この城のことを全く知りませんでした。行ってみてまず驚いたのは白さが残っている石垣と緑色に見える内堀との組合せが絶妙ということでした。それから、桝形によって巧みに作られた防御システムがあることもわかりました。おまけに、天守台石垣のすばらしい姿も鑑賞できました。城巡りから帰って、以前に八代城と呼ばれた別の2つの城があること、八代平野にはその後の干拓の歴史があることも知りました。江戸時代には、城にあるような白い石垣を使って堤防が作られたそうです。いつかまた、今度は3つの八代城と、八代平野のどこかにある白い石垣を見に行ってみたいです。

裏門(北)側の石垣と内堀
江戸時代の干拓遺跡、江中樋(こうちゅうひ)、八代市ホームページより引用

ここに行くには

車で行く場合:九州自動車道の八代ICから約6kmのところです。本丸の北東角のところに駐車場があります。
公共交通機関を利用する場合は、八代駅から八代産交行き産交バスに乗って、八代宮前バス停で降りてください。
福岡から八代駅まで:九州新幹線に乗って、新八代駅で鹿児島本線に乗り換えてください。

城跡にある駐車場
八代駅

リンク、参考情報

八代城跡(国指定)、八代市観光情報
・「よみがえる日本の城12」学研
・「日本の城改訂版第57号」デアゴスティーニジャパン
・やつしろ文化遺産ガイドブック「八見伝」
・YouTube 八代市公式チャンネル「八代城築城400年記念連続講座」

これで終わります。ありがとうございました。
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