3.松前城 その2

桜と天守以外にも見どころはたくさんあります。

特徴、見どころ

城跡公園への入り方

現在、松前城跡は松前公園として整備されていて、桜の名所としても知られています。ここには、約250種類、合計で1万本以上の桜の木があります。もし8月にここを訪れたとしてもここでは、日本の本州では通常6月に咲くアジサイの花を楽しむことができます。もちろん、城跡は1年中見学することができます。

城周辺の地図

城跡に咲くアジサイ

車でここに来られた場合は、南側の海に面した松前町市街地から正面入口を通って城跡に入り、三の丸を通り過ぎて、二の丸にある駐車場に停めることができます。

松前町市街地
正面入口
三ノ丸の土塁と石垣
二ノ丸にある駐車場

徒歩で来られた方は、東側から搦手門を通って城跡の中心部に向かうこともできます。

東側から城跡に入る馬坂口
復元された搦手二ノ門周辺
城跡中心部

海防のための施設跡

城跡の東側は、松前町によってよく整備されています。例えば、城の他の入口であった天神坂門や搦手二ノ門が再建されました。二ノ丸の石垣やその上の土塀が部分的に復元されました。その手前の外堀も一部再掘削されています。

復元された天神坂門
復元された二ノ丸の石垣と土塀、外堀

その下の三ノ丸では、五番砲台などの台座が石垣とともに現存しています。二ノ丸の南東隅にある太鼓櫓跡に立ってみると、素晴らしい津軽海峡の海の景色が楽しめるとともに、海峡を進む船の動向を把握するにも良い場所だっただろうことがわかります。

五番砲台の台座
五番砲台跡から海側を見ています
五番砲台跡から二ノ丸方面を見ています
二ノ丸太鼓櫓跡
太鼓櫓跡からの景色

復元天守と現存する本丸御門

本丸には復元された三層の天守があります。この天守は実際にはコンクリート造りの建物なのですが、その外観はほとんどオリジナルのものと同じです。オリジナルのままなのは、その天守台石垣だけです。その石垣をよく見てみると、いくつも窪みがあるのがわかります。これらの窪みは、明治維新のときの戦いにより、砲撃を受けた痕跡なのです。天守の屋根はオリジナルと同じく、北海道の寒冷な気候に耐えられるよう銅板が葺かれています。

復元された天守
天守台石垣には戦いの痕跡があります

中に入ると、そこは歴史博物館になっていてこの城や松前藩について学べるような展示がされています。最上階は展望台として使われています。しかし、建物自体が老朽化しているように感じるかもしれません。

館内の展示
最上階からの眺め

多くの人たちは天守だけに注目するかもしれませんが、本丸には他にも興味深いものが残っています。天守脇の本丸御門は、この城で唯一健在である建物であり、1950年以来重要文化財に指定されています。この門は当時のことなので木材を使って作られていますが、門を支える石垣はとても精密に組み合わされ、現代になって築かれたかのようです。

現存する本丸御門
建物は確かに木造です
石垣はとても精密に組み合わされています

本丸御殿の名残り

門の手前にはひっそりと、本丸御殿の玄関部分が保存展示されています。この玄関は、もともとあった場所である本丸御門の裏手の方で学校の門として使われていたのですが、1982年に現在の場所に移されました。この玄関は、松前城が築かれる前からあった福山館の一部であると言われています。もと本丸御殿だった場所は芝生に覆われた広場になっています。

本丸御殿の玄関部分
見事な彫刻の飾りがあります
元御殿があった場所

「松前城その3」に続きます。
「松前城その1」に戻ります。

133.鮫ヶ尾城 その2

自然の地形を生かした典型的な山城

特徴、見どころ

3つの登城道

現在、鮫ヶ尾城跡は「斐太(ひだ)歴史の里」という名の歴史公園の一部として整備されています。ここには古代住居の跡や古墳群などもあります。もし車でこちらに来られるのでしたら、これも長い歴史を持つ斐太神社のそばにある駐車場に停めることができます。また、駐車場からは斐太歴史の里総合案内所に立ち寄ると、城跡に関する様々な案内をしてもらえます(冬期間は営業していませんので注意)。

城周辺の地図

公園入口
復元されている古代住居
総合案内所

城跡へは東登城道、北登城道、南登城道の3のルートがあります。前の2つのルートは総合案内所がスタート地点となります。ちなみに、北登城道はあまり史跡がありませんので、この城跡に初めて行かれるのであれば、東登城道がおすすめです。北登城道は帰りに使ってはいかがでしょう。

3つの登城道(現地説明板より、上方が西)
北登城道
北登城道沿いに残る井戸跡「景虎清水」

東登城道を行く

東登城道は、もとは城の搦手道でした。もしそこから登られるのであれば、山の峰の上や、そこに沿って歩いて行くことになります。そのうち、「大堀切6」という標柱が見えてきます。その辺りが城跡の入口となります。そして、「大堀切5」という場所からまたいくつかの堀切が続きます。このルートが堀切を超える場所では両側を細くカットされています。

城周辺の起伏地図

東登城道
右側に「大堀切6」の標柱
大堀切6
「大堀切5」標柱
大堀切5
堀切を渡る土橋は両側を細くカットされています

そうするうちに東一ノ丸に着きますが、ここは物見のための場所だったようです。

また堀切を越えて東一ノ丸に近づきます
東一ノ丸
東一ノ丸からの景色

その後、「堀切6」を過ぎると、坂はとても急になり、次の曲輪に行くのにロープにつかまって登る必要があります。過去には、この場所は防衛上の重要拠点だったに違いありません。

「堀切6」の後の急坂
ロープが必要なほどの急坂です
急坂を上から見下ろしています

やがて「大堀切1」に至ります。ここは東登城道と南登城道が合流する場所です。

大堀切1
東登城道と南登城道の合流地点

南登城道上の二ノ丸と三ノ丸

実は、南登城道が城の大手道だったのです。このルートはジグザグに谷や他の峰を通っていて、敵の攻撃を弱らせるようになっていました。虎口と呼ばれる防御関門の後、三ノ丸と二ノ丸がこのルートの最終地点になっています。発掘調査によれば、両方の曲輪で恐らくは御館の乱による火事の痕跡が発見されました。特に三ノ丸では、兵士の携帯食だったであろう焼けたおにぎりが見つかっています。

南登城道
虎口跡
三ノ丸
二ノ丸

「鮫ヶ尾城その3」に続きます。
「鮫ヶ尾城その1」に戻ります。

84.高知城 その2

昔のままの城を感じることができる場所です。

特徴、見どころ

天守と追手門が同時に見れる場所

今日高知城を訪れる観光客の方は、最初は現存する追手門から入って行かれるのではないでしょうか。ここからは、向こうの方に現存する天守も眺めることができます。実は、この2種類の現存する建物を一緒に見ることができるのは大変珍しいことなのです(あとは丸亀城くらいかと思います)。

高知城の天守と追手門
追手門

城周辺の航空写真

杉ノ段から鉄門跡へ

追手門から入って石段を登っていくと杉ノ段に至ります。そこには、山内一豊の妻、千代と一頭の馬の銅像があります。この銅像は、彼女が、夫の一豊が参加する馬揃えのために持参金をはたいて良馬を購入したことで、一豊が出世するきっかけをつかんだというエピソードを示しています。ここから見上げると、三ノ丸の素晴らしい高石垣が目に入ってきます。

杉ノ段への石段
千代と一頭の馬の銅像
三ノ丸の高石垣

更に石段を登って進んでいくと、鉄門(てつもん)跡に着きます。ここは防衛上重要な地点でした。この門は、三ノ丸のとなりにあり、二ノ丸へ向かう経路の途中にあります。そのために、敵を本丸への門と勘違いさせるような詰門を使った巧妙な仕掛けがここに作られたのです。

鉄門跡
鉄門跡から見える詰門

三ノ丸と二ノ丸

三ノ丸は、この城では最も大きな曲輪であり、かつては儀式のために使われた大きな御殿がありました。発掘により、長宗我部時代の石垣がここから見つかっています。

三ノ丸
長宗我部時代の石垣
三ノ丸から見える天守

二ノ丸には、本丸以外のもう一つの領主の御殿があり、領主は通常ここに住んでいました。本丸にあった御殿は日常生活をおくるには狭すぎたからです。現在の二ノ丸は広場となっています。

鉄門跡から二の丸へ
二ノ丸

ほとんど元のままの本丸

二ノ丸から現存する詰門を渡って行くと、ついに本丸に到着します。驚くべきことに、本丸には元あった状態とほとんど変わらないまま、11もの建物が残っています。また、同じ場所にオリジナルの天守と本丸御殿が残っている日本で唯一の例でもあります。

二ノ丸から詰門に入ります
天守から見える本丸の建物群

天守に至るには、まず最初に御殿の方に入る必要があります。双方が直接つながっているからです。この御殿は、本丸の大きさが限られているため、確かにそんなに広くありません。しかし、藩にとって重要な儀式はここで行われました。

本丸御殿の入口
本丸御殿の内部

天守は四層六階です。つまり、六階のうちの二階は屋根裏部屋となっています(3階と5階)。この天守は、望楼型と呼ばれる形式です。高知城の場合は、入母屋屋根を備えた大型の二層櫓の上に、小型の二層望楼が乗っかっています。また、天守の屋根には唐破風や千鳥破風、最上階には漆塗りの欄干付きの回り縁といった装飾がされています。古い伝統と美しさ両方が見られる天守です。

高知城天守

「高知城その3」に続きます。
「高知城その1」に戻ります。