62.和歌山城 その3

なぜ天守は再び再建されたのでしょうか。

特徴、見どころ

城の西側と南側

和歌山城公園の西側や南側部分にも、まだまだ見どころがあります。城の西側には元は砂丘だった所に、後から作られた砂の丸があり、かなり広い曲輪です。ここには高石垣が築かれており、ここから市内の道路を見渡すことができます。この曲輪の内部は最初から何もなくて、そのせいか現在ではグラウンドやテニスコートとして使われています。

城周辺の地図

砂の丸
砂の丸の石垣
石垣の上からの景色

追廻門(おいまわしもん)は現存する城の建物の一つであり、赤く塗られています。その理由として、裏鬼門と呼ばれる南西の方角に対する魔除けの意味があると言われています。

追廻門

不明門(あかずのもん)跡は、もう一つの公園への入口で、南の丸の正面に当たります。ここにある櫓台石垣は城の中で一番高く、約25mの高さがあります。

不明門跡
櫓台石垣

その後

明治維新後、和歌山城は廃城となりました。城の主要部は、最初は陸軍の所有となりましたが、その後和歌山市に引き継がれ公園となりました。公園には城の現存建物や構造物だけでなく、博物館、図書館、学校、消防署、市役所などの公共施設の敷地としても使われました。しかし、和歌山市は最近これらの施設を撤去したり移設したリして歴史公園として再開発しています。江戸時代末期頃の城の姿を再現するとのことです。なお、城跡としては1931年以来、国の史跡として指定されています。

二の丸から見た復元された大手門
長々と続く中心部の丘を囲む古い石垣

私の感想

ここを実際に訪れるまでは、和歌山城にこんなにも見どころがあるとは知りませんでした。また、城の中心部やシンボルとしての天守の重要性にも気づきました。もし天守がそこになかったとしたら、このような大きな城では、焦点がぼやけてしまうのではないでしょうか。和歌山の人たちが天守を再建した理由として、こんなことも考えられるのではないかと思いました。

二の丸から見た天守
砂の丸から見た天守
天守の模型、わかやま歴史館にて展示

ここに行くには

車で行く場合:阪和自動車道の和歌山ICから約15分かかります。公園の周辺にいくつか駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、南海鉄道の和歌山市駅から歩いて約10分のところです。JR和歌山駅から来る場合は、和歌山バスの0系統か25系統に乗って、和歌山城前バス停で降りてください。
東京から和歌山駅まで:東海道新幹線に乗って、新大阪駅で特急くろしお号に乗り換えてください。または、関西空港まで飛行機を使い、そこからJRで和歌山駅に行くか南海鉄道で和歌山市駅に行くのもいいと思います。

不明門跡の内側にある駐車場
和歌山市駅

リンク、参考情報

史跡 和歌山城、公式サイト
・「よみがえる日本の城1」学研
・「日本の城改訂版第21号」デアゴスティーニジャパン
・「史跡和歌山城整備計画報告書(平成28年度改訂版)」和歌山市産業まちづくり局観光国際部、和歌山城整備企画課
・「史跡和歌山城二の丸及び西の丸整備基本計画報告書」和歌山市産業交流局観光国際部、和歌山城整備企画課
・「週刊名城をゆく44/和歌山城」小学館
・「築城の名手 藤堂高虎/福井健二著」戒光祥出版

これで終わります。ありがとうございました。
「和歌山城その1」に戻ります。
「和歌山城その2」に戻ります。

62.和歌山城 その2

この城には山ほど見る所があります。

特徴、見どころ

大手門から中御門跡へ

現在、和歌山城のある場所は、和歌山市により和歌山城公園として整備されています。ここには、もともと城だった範囲の内、主要部分が含まれています。入口の数は、城の現役時代と同じです。大手門、岡口門、追廻(おいまわし)門、不明(あかずの)門跡、吹上(ふきあげ)門跡の5ヶ所です。

城周辺の地図

城の姿がどのようであったか知りたければ、公園の北東の方にある大手門から入ってみるのがおすすめです。この大手門と、その前の内堀にかかっている橋は現代になって復元されたものです。一旦門から入ってみると、城の敷地と堀がどんなに大きいか実感できると思います。

紀伊国名所図会「大手御門辺の図」、現地説明板より
大手門
大手門の内側からの景色
城の東側の内堀

二番目の関門である中御門跡には、今でも石垣が食い違いになって残っています。この辺は面白い場所で、門に使われている2種類の石垣を見ることができます。粗く加工された砂岩を使った場所と、精密に加工された花崗岩を使った場所です。それに、少し進んだ場所では、緑泥片岩の自然石を使った丘を囲む古い石垣を見ることができます。それぞれの石垣は異なる時代に築かれています。

中御門跡
食い違い部分を石垣上から見ています
左側が花崗岩の石を使った場所、右側が砂岩の石を使った場所
緑泥片岩の自然石を使った石垣

二の丸と西の丸

二の丸は、大手門がある場所の西側にあります。ここには今では現代になってから作られた石庭しかありませんが、かつては豪華な御殿と内堀に臨んだ複数の櫓がありました。御殿の中の大広間は、大坂城に移築されて1947年まで存在していましたが、残念ながら失火により焼けてしまいました(当時進駐軍により使われていました)。和歌山市は大広間を元あった場所に復元することを計画しています。また、長期的には一部の櫓と大奥の建物の復元も検討しています。この曲輪から見える天守の遠景は一番映えるかもしれません。

二の丸周辺の地図

二の丸の内部
二の丸の物見櫓跡
二の丸北側の内堀
大坂城に移された大広間(紀州御殿)、和歌山市ホームページから引用
二の丸から見た天守の遠景

そのとなりの西の丸では、紅葉谷(もみじだに)庭園が現代になって復元され、国の名勝に指定されています。二の丸と西の丸の間をつなぐ御橋廊下も2006年に復元されました。この中を歩いてみることもできますが、傾斜している屋根付きの橋は大変珍しいそうです。

西の丸の紅葉谷公園
御橋廊下
御橋廊下の内部

現存している岡口門

公園の南東方面にある岡口門にも是非行ってみてください。門の建物と傍らの土塀は、この城ではわずかに残っている建物の一つであり、重要文化財に指定されています。切妻屋根のシンプルな門に見えますが、かつては両側を櫓によって挟まれていました。

岡口門周辺の地図

岡口門
現存する土塀
岡口門の屋根部分
かつての岡口門、紀伊国名所図会「岡口御門辺の図」部分、現地説明板より

門から入って行くと、大手門がある場所と同じように、二番目の関門があります。左側には、松の丸櫓が乗っていた立派な高石垣が見えてきます。その他の石垣が桝形と呼ばれる四角い空間を形作り、敵が攻めてくるのを防げるようになっていました。ここに建物は残っていませんが、これら新しい方の時代に属する石垣は十分見るに値します。

岡口門から二番目の関門
松の丸櫓台石垣
石垣上から見た桝形部分

坂を登って本丸、天守へ

丘の上の本丸に行くには、2つのルートがあります。表坂と裏坂です。表坂は緩やかですが、その分長いです。登り始めの部分は広い道が曲がりくねっています。緑泥片岩が敷かれていてとても美しいです。

本丸周辺の地図

表坂
美しい緑泥片岩の敷石

後半の部分は長く、右側が丘の側面になっていて、左側は谷側でいつくかの櫓台石垣があります。現代のビジターはこの道をゆっくり楽しみながら歩いていますが、その昔敵がここを通ったときには反撃を受けて相当な困難を感じたことでしょう。

表坂の後半部分
谷側に残る櫓台

裏坂は、急な分短くなっています。この道も石が敷き詰められ、古い石垣によって囲まれていますが、苔むしていて表坂とは違った趣きがあります。

裏坂
苔むした石垣

丘の頂上は二つの峰から成っていて、一つ目にはもう一つの御殿がかつて存在していて、もう一つの方には今でも天守があります。この御殿は、二の丸にあった御殿と共存していましたが、狭かったことと、立地の不便さのためあまり使われませんでした。現在ここは給水場となっていて、天守を眺めるにはよい場所です。

表坂から本丸へ
本丸御殿跡
本丸御殿跡から見た天守

ほとんどのビジターの目的地はやはり天守でしょう。実際にはオリジナルではなく、近代的ビルとして1958年に外観復元されたものです。天守台石垣はオリジナルであり、城の中では最も古い石垣であるとされています。天守のような建物が城の初期段階から建てられていたのかもしれません。

天守近景
天守台石垣

この天守の形式は連立式と呼ばれていて、大天守と小天守が廊下のような多聞櫓によってつながっています。天守の内部は歴史博物館となっていて、最上階は展望台として使われています。

大天守最上階から見ると連立式の形がわかります
展示物の一つ、茶道具を入れてあった長持
大天守最上階の展望台
展望台から東側の眺め、本丸御殿跡が見えます

「和歌山城その3」に続きます。
「和歌山城その1」に戻ります。