81.松山城 その2

天守までの長い道のり

その後

明治維新後、山麓にあった建物は撤去されたり失火により焼失しました。そして日本陸軍が二の丸と三の丸を含むエリアを使用しました。第二次世界大戦後は、市民会館、NHK放送局、博物館、図書館、病院、学校、球場などの公共施設として使われました。二の丸は、そこにあった病院と学校が他所に移設された後、最終的には1992年に二の丸史跡庭園として整備されました。外側から見ると、修復された石垣と復元された城壁により、まるでオリジナルの御殿のように見えます(城壁の内側は名称の通り御殿ではなく庭園となっています)。三の丸は、広大な広場を持つ公園として一般に公開されており、イベントなどが開催されています。球場などが移設された後は、城の歴史を突き止めるための発掘作業も並行して進められています。

1970年代の城周辺の航空写真

復元された二の丸の外周部分
庭園となっている二の丸内部
三の丸の球場跡地
広場になっている三の丸

一方、天守を含む山上の多くの建物が残っていました。1933年初めの時点では、44棟もの現存建物がありました。ところが同じ年に放火により35棟に減り、1945年の空襲により24棟に減り、1949年にはまたも放火により21棟になりました。松山市は1950年にその21棟の現存建物を重要文化財に指定し、1958年には他の建物の復元を開始しました。これまで、31棟の建物が1992年までにオリジナルの工法で、ほとんどが木造で復元されています。つまり、山上にある建物の数は1933年時点よりも多くなっているのです。更には城山公園と呼ばれる城の全域は、1952年以来国の史跡に指定されています。

山上にある多くの現存または復元建物群

特徴、見どころ

黒門口から山上へ

現在、山の上の松山城を訪れるのには4つのルートから選べます。最も一般的なのは東雲(しののめ)口で、ロープウェイかリフトに乗って簡単に頂上付近までたどり着くことができます。しかし歴史ファンの方なら、城までの大手道であった黒門口から歩いていかれることをお勧めします。

山上への案内図、現地説明板より

このルートは三の丸の奥の方からスタートし、御殿があった二の丸の傍を通り過ぎます。このルート上には建物は残っていませんが、今でもすばらしい石垣に囲まれています。まず、黒門、栂門(つがもん)、槻門(けやきもん)という3つの門跡を通る間に5回曲がらなければなりません。それから更に、頂上に至るオリジナルの石段が残る曲がりくねった山道を登っていきます。

黒門口周辺の地図

スタート地点にある黒門跡
栂(つが)門跡
二の丸(右側)の脇を通り過ぎます
槻(けやき)門跡
頂上に向かう山道

大手門周辺の堅い守り

登っていくと頂上近くの大手門跡に着きます。また、そこでは本丸を囲むすばらしい高石垣も見えますし、たくさんのロープウェイかリフトに乗ってきたビジターが別の方向からやってきます。ここが東雲口ルートとの合流地点になっているのです。

本丸周辺の地図

大手門跡に到着
本丸の石垣

次に、天守が見える方に向かう道を進みますが、これは行き止まりで敵を欺くための罠であり、本丸に入るためには180度曲がっていかねばなりません(行き止まりの道の方は立入禁止になっています)。その次には現存する戸無門がありますが、戸がないのは敵を引き付けるためとも言われています。敵はきっとこの辺りで大いに困惑したことでしょう。

前方に天守が見えます
まっすぐ行くと行き止まりです
次に進むためには180度曲がります
戸無門

戸無門をくぐると、復元された筒井門が現れます。この門は単独に立っているように見えますが、実は現存する隠門(かくれもん)がとなりにあるのです。筒井門から攻め入る敵は、隠門から出てくる守備兵の反撃を受けてしまうでしょう。

筒井門
隠門
後ろから見た筒井門(右)と隠門(左)

本丸からの素晴らしい眺め

そして、復元された太鼓門を通れば、ついに本丸に到着します。本丸の中心部は広場のようにも見えますが、周辺には復元された井戸、巽(たつみ)櫓、馬具櫓などがあります。それに、ここは間違いなく天守や、松山市街地・瀬戸内海など周辺地域を眺めるビュースポットです。

太鼓門
井戸
本丸内部
天守の姿
本丸から見た松山市街地

「松山城その3」に続きます。
「松山城その1」に戻ります。

74.岩国城 その2

この城のことをもって知ってみましょう。

その後

明治維新後、山麓にあった居館は1885年に吉香(きっこう)公園となりました。錦帯橋は277年間残りましたが、1950年のキジア台風により発生した洪水のために流されてしまいました。岩国市の人たちは、1953年に元の工法で橋を復元しました。老朽化のため、2004年には再度再築されました。そのためか橋はまだ新しいように見えます。1922年以来、国の名勝に指定されています。

現在の錦帯橋

岩国城に関しては、1963年に山の上の天守が再建されました。しかし、山麓から錦帯橋とともにもっとよく見えるよう、元あった位置より約50m移動した場所に建てられました。1964年には山麓と山頂を結ぶロープウェイが開業し、観光客が多く訪れるようになりました。

山麓からもよく見える現在の岩国城天守

特徴、見どころ

錦帯橋から再建天守へ

現在、岩国城周辺を訪れるビジターにとっては、城そのものにはあまり興味はないかもしれません。まず最初には、錦帯橋を眺めて歩いて渡ってみたいでしょう。また、ロープウェイに乗って山の頂上まで行き、錦帯橋を含む周辺の素晴らしい景色を眺めてみたいでしょう。再建された天守に行ってみるのは、3番目になってしまうでしょうか。麓から見る錦帯橋の景色の引き立て役といった感じです。しかし、この城のことをもっと知ってみると、新たな一面を発見できると思います。

錦帯橋を渡ります
ロープウェイの車窓からの眺め
山上から見える錦帯橋

ロープウェイの山頂駅から降りた後は、城へ向かう2つのルートの案内板が目に入ります。それによれば、左側の道に行くよう促されていますが、実は右の方がおすすめです。それは、右の道に行けば、城の正面の方に出られるからです。道の右側には石垣の端の部分が、三角形の石の列となって並んでいるのが見えます。左側には、二の丸の立派な石垣も見えます。更に進んでいくと、出丸が前面にはみ出しています。ここには、桝形と呼ばれる四角い防御のための空間が内側にあり、そこが城の大手門となっていました。その門跡の内側が二の丸となっていますが、内部は今では改変され現代風のロックガーデンになっています。

城周辺の地図

案内板では左側の広い道が推奨されています
今回は右側の山道を選びます
二の丸下の石垣
張り出している出丸の石垣
出丸の石垣を見上げています
大手門跡
二の丸内部

再建天守とオリジナルの天守台

本丸は、二の丸の北隣にあります。再建された天守が眼前に立ちはだかってとても目立ちます。この天守のデザインは、オリジナルのものを描いたと言われる断面図を元に作られているので、恐らく外観はオリジナルに近いはずです。この天守は4層ですが、三階がはみ出しています。こういったタイプの天守は珍しく、南蛮造りと呼ばれています。実際には現代的なビルディングで、内部は歴史博物館や展望台として使われています。オリジナルの天守台も発掘調査をもとに、元の位置に復元されています。

二の丸から再建天守のある本丸の方を見ています
「南蛮造り」の再建天守外観
「断面図」についての岩国城内の展示
最上階展望台からの眺め
復元されたオリジナル天守台

「岩国城その3」に続きます。
「岩国城その1」に戻ります。

129.龍岡城 その2

五芒星の形がまだ残っています。

特徴、見どころ

学校の敷地となっている城跡

現在、龍岡城跡は田口小学校として使われていますが、五芒星の形の外周に今でも囲まれています。地元の人たちはこの城跡をよく「龍岡五稜郭」という名前で呼んでいます(五稜郭そのものが星形城郭という意味です)。城跡は桜の名所でもあります。城跡がこのような使われ方をしているため、「五稜郭であいの館」という名のインフォメーションセンターなどビジター向け施設は城跡の外側に設けられています。

城周辺の航空写真

五稜郭であいの館

ビジターは通常まず大手門跡に行くと思いますが、ここには亀甲積みや跳ね出しなどこの城では最も精密が石垣が集まっています。水堀を渡る木製の橋が復元されていて、古式ゆかしい雰囲気を感じます。城跡にはあと2つの入口があります。黒門跡と通用門です。

大手門跡
大手門跡の石垣
水堀と石垣
通用門

城の周りを歩く

この城跡自体がそんなに大きくありませんので、その外周を気軽に巡ってみることができます。城の裏側に向かって歩いているうちに、堀が尽きてしまっていたり、石垣の作りが粗くなっているのに気が付かれるでしょう。これは実のところ、城の建設が予算不足か他に優先事項があったために中途半端で終わってしまったからなのです。城跡の周辺には私有地もありますので、そちらには立ち入りしないようにしましょう。

城の裏側の石垣
ここから先は私用地です

唯一の現存建物

小学校の校舎や校庭を除いて、城跡の中にも入って行くことができます。その城跡の内側を眺めてみると、城の星形の形は基本的に土造りだということがわかると思います。城の中で唯一の現存建物が御台所(おだいどころ)です。この建物はもともと御殿の一部だったのですが、学校の建物や倉庫に転用され、最終的には史跡として現在の位置に移されました。グループで且つ事前に予約した人のみが中を見学できます。

城跡の内側
内側から見ると土塁で囲まれています
現存する御台所

展望台から城跡を眺める

龍岡城はフラットに設計されているので、今日のビジターはその形を今一つつかめないかもしれません。そこで、城跡の北約500mのところにある五稜郭展望台に行ってみることをお勧めします。実はその場所は、田口城という戦国時代にあった別の城跡でもあるのです。そこでは、いくつもの土造りの曲輪を見ることができます。

城周辺の起伏地図

五稜郭展望台
田口城跡

もちろん、そこからは素晴らしい五芒星形の城の姿をはっきりと眺めることができます。ここは恐らく以前からこの辺りの地域を見渡すには最適な場所だったのでしょう。もし、江戸時代末期にこの城を攻撃する砲手であったなら、ここから容易に照準を定めることができたでしょう。

展望台から見た龍岡城
大手門跡付近
御台所

「龍岡城その3」に続きます。
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