59.姫路城 その3

毎回この城に行くたびに新しい発見があります。

特徴(大天守)

大天守は5層で6階+地階という構造です。この天守は望楼型という形式です。この形式の天守には、通常は入母屋式の屋根を持つ大型の櫓の上に、小さな望楼が立っています。しかし、姫路の天守には、他の天守には通常ある最上階の欄干がないため、スマートに見えます。この天守は、後に層塔型として発展することになる後期望楼型として分類されています。

姫路城大天守(後期望楼型)
犬山城天守(望楼型)
福山城天守(層塔型)

屋根は多くの華頭窓や千鳥破風によって装飾されています。火災を防ぐため、白い漆喰が壁だけではなく、屋根瓦の間にも厚く塗りこめられていいます。それが城を白鷺のように見せています。一方、戦いのために多くの石落としや狭間も装備されています。天守の中に入ることはできますが、とても人気があるので、1時間以上並んで待たなければいけないかもしれません。更に、同時に中に入ることができる人数も制限されています。豪華な外見と違って、内部は実に実用的です。天守は実際には正に戦いのための場所なのです。

大天守の美しい装飾
大天守の内部 (licensed by alisdair via Wikimedia Commons)

内部には、長い籠城で多くの兵士を収容するための洗い場、厠、倉庫があります。また、内部では石落としや狭間を兵士がどのように使うのか見学することもできます。大天守は主に日本の大柱(東と西)によって支えられています。西大柱は実は腐ってしまい、そのため1959年に行われた昭和の大修理で新しいものに交換されました。そのとき東大柱の根元も修理されました。3階より上ではこれらの柱をはっきり見ることができます。

大天守内の洗い場 (licensed by Corpse Reviver via Wikimedia Commons)
西大柱  (taken by あけび from photoAC)

特徴(城の側面と背面)

城周辺の地図

姫路城には側面や背面であってもたくさんの見所があります。そのうちのいくつかを紹介しましょう。まずは、姫山の正面山裾のところでは、「野面積み」と呼ばれる自然石を使って積まれた階段状の石垣を見ることができます。羽柴秀吉か黒田官兵衛によって作られたと言われています。この石垣は、この城で最も古い曲輪の一つと言われている上山里曲輪を囲んでいます。

上山里曲輪を囲む古い石垣

城の右側面に回り込むと、内堀から分かれ出た堀の端が見えます。この近くには内船場蔵という船荷のための倉庫がありました。この堀は船着き場として使われていたのです。

船着き場として使われた内堀

井戸曲輪の東側の石垣は、この城で最も高い石垣の一つです。更には、大天守の右側には二層目に大入母屋が見え、とても際立っています。石垣との組み合わせは写真を撮るにはもってこいです。

井戸曲輪下の高石垣
大天守の右側面
大天守と高石垣のコンビネーション

城の裏側では、もう一つ堀の末端を見ることができます。実はこの端っこはこの城の渦巻き状の堀の始発点なのです。姫山の裏側はいまだ自然のままに残っていて、大天守との取り合わせは独特の眺望です。この辺は、内堀が二重になっていて、二周目の堀が始まる所でもあります。これらが城の裏側を強力に守っていたのです。

堀の始発点
裏山から見える大天守
二周目の堀

「姫路城その4」に続きます。
「姫路城その2」に戻ります。

70.岡山城~Okayama Castle

この都市は城と一緒に発展してきました。
The city has developed with the castle.

立地と歴史~Location and History

岡山市の起源~The origin of Okayama City

岡山市は中国地方の岡山県の県都です。この市は岡山城を基盤に発展してきました。この城は現在、日本有数の庭園である後楽園と共に旭川に沿った観光地として知られています。しかし実際には多くの市街地がこの城の一部分から派生しているのです。
Okayama City is the capital of Okayama prefecture, Chugoku Region. The city has been developing based around Okayama Castle. The castle is now known for as a tourist spot alongside Asahigawa River with Korakuen, one of the most famous gardens in Japan. Actually, a lot of the city area comes from the part of the castle.

城の位置~The location of the castle

旭川沿いの岡山城(右)と後楽園(左)~Okayama Castle (on the right) and Korakuen Garden (on the left) alongside Asahigawa River

戦国時代、宇喜多氏が最初に旭川のデルタ地帯にあった丘の一つ、石山に城を築きました。宇喜多秀家は石山の東にあったもう一つの丘に城を拡張しました。この丘は岡山と呼ばれており、岡山城と、岡山市という名前両方の起源だったのです。
In the “Sengoku” or Warring States Period, the Ukita clan first built a castle on one of the hills called Ishiyama on the delta of Asahigawa River. Hideie Ukita expanded the castle into another hill in the east of Ishiyama. The hill was called Okayama, the origin of Okayama Castle and the name of the city.

現在の石山の地点~The present spot of “Ishiyama”
石山から見た城の中心部~The center of the castle from Ishiyama

古い形式の天守~Old type Main Tower

秀家は天下人の豊臣秀吉に気に入られ、五大老の一人になり、大きな天守の建造を許されました。この天守は第二次世界大戦まで残っており、五階建てで、古い型である「望楼型」と呼ばれるものでした。入母屋造りの屋根を持った大きな櫓の上に、小さな望楼がありました。その石垣の基礎とその上の一階は、丘の形に沿って建造されました。これらは最も初期の天守の形式を残していると言われ、日本最初の本格的天守を持った安土城とも比較できるものです。
Hideie who was trusted by the ruler, Hideyoshi Toyotomi, became one of the five chief ministers, and was allowed to build a large Main Tower or “Tenshu”. The Tenshu remained until World War II. It was a five story building in an old style called “boro-gata” or look-out tower style. It had a small look-out tower on a large scale turret with hip-and-gable roofs. Its base stone walls and the first story above were constructed along the shape of the hill. They are said to remain the very first Tenshu style compared with that of Azuchi Castle, the first typical Tenshu in Japan.

宇喜多秀家肖像画、岡山城蔵~The Portrait of Hideie Ukita, owned by Okayama Castle (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
第二次世界大戦前の岡山城の古写真~An old photo of Okayama Castle before World War II(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

岡山城の完成~Completion of Okayama Castle

この城の城主は、秀家が1600年の関ヶ原の戦いで敗れた後変わります。江戸時代には、小早川氏、そして池田氏が城と城下町の拡張を続けました。旭川は、自然の障壁として城のデルタ地帯の北から南東へ流れています。結果として城は西の方角へ広がりました。水堀はその方角に向かって五重にも掘られました。
The lords of the castle were changed after Hideie was defeated in the battle of Sekigahara in 1600. The Kobayakawa clan, then the Ikeda clan continued to improv the castle and the castle town in the Edo Period. Asahigawa River flows along the delta of the castle from the north to the southeast being a natural hazard. As a result the castle was expanded into the west direction. They made water moats quintupled towards the direction.

備前国岡山城絵図部分、江戸時代~Part of the illustration of Okayama Castle in Bizen Province, in the Edo Period(出典:国立公文書館)

城を守るため、多くの門や櫓も建てられました。1700年、後楽園が川向かいの城とは反対側に作られました。その頃には既に平和な時代になっていたのです。
They also built many turrets and gates to protect the castle. In 1700, Korakuen garden was made in the opposite of the castle across the river. It shows it had already been in peace at that time.

後楽園の風景~A view of Korakuen Garden(taken by grandstream from photoAC)

特徴~Features

街中の遺跡~Ruins in City Area

城周辺の航空写真~The aerial photo of around the castle

現在、岡山城の中心部である本丸は、烏城(カラスの城という意味)公園として整備されています。この名前は天守が黒く塗られていたことによります。公園は岡山駅から2kmのところにあります。城はかつてはその中間辺りまで広がっていました。そのため、公園の外にもいくつか城の遺跡があります。例えば、以前は西の丸で現在の市街地に残っている西手櫓です。この櫓は重要文化財に指定されています。でもビルに囲まれてさみしそうに見えます。
Now, the center of Okayama Castle, Honmaru enclosure has been developed as Ujo Park (Ujo means Crow Castle). The name comes from the Tenshu being painted black. The park is about 2 km from Okayama Station. The castle once spread to half of the way in the past, so there are some ruins of the castle outside the park. For example, Nishite Turret on the former Nishinomaru enclosure remains in the city area. It is designated as an Important Cultural
Property, but it looks lonely among modern buildings.

西手櫓 ~Nishite Turret

石山曲輪跡は公園の近くにあります。ここは城の最初の中心地でした。現在は駐車場として使われています。曲輪を覆う石垣は江戸時代に作られたようです。
The ruins of Ishiyama enclosure is near the park. It was the first center of the castle, and is now used as a parking lot. The stone walls covering the enclosure seem to be built in the Edo Period.

石山曲輪~Ishiyama enclosure

本丸の遺跡~Ruins in Honmaru

本丸周辺の航空写真~The aerial photo of around Honmaru

以前の本丸であった公園には二つの入口があります。その一つは内堀の上の目安橋を渡っていくルートです。これは本丸に至る大手道でした。もう一つは川沿いにある廊下門を通るもので、本丸の裏門に当たります。ここからは川にたたずむ城の姿が望めます。
The park, the former Honmaru, has two entrances. One of them is the route crossing Meyasu-bashi Bridge over the inner moat. It was the Main Route or “Ote-Michi” to Honmaru. The other is going through Roka-mon Gate beside the river, the back gate of Honmaru. You can have a good view of the castle with the river.

目安橋~Meyasu-bashi Bridge
廊下門~Roka-mon Gate

本丸は三段に分かれています。低い段は「下の段」と呼ばれ、門の周辺を指します。真ん中の段は「表向」と呼ばれ、居住や統治のための御殿がありました。ここには重要文化財である月見櫓が残っています。この櫓は、本末の外側からも素晴らしい石垣とともに鑑賞できます。上の段は、「本段」と呼ばれ、最も古い箇所です。不明門がその入り口にあります。ここには創建以来の天守と、藩主の御殿がありました。
Honmaru has three levels of the ground. The lower level called Genodan is the area around the gates. The middle level called Omotemuki is where the hall for official residence and governance was. Tsukimi Turret remains there as an Important Cultural Property. It can also be seen with excellent stone walls from outside Honnmaru. The upper level called Hondan is the oldest part. Akazuno-mon Gate is its entrance. It had the original Tenshu and the main hall for a lord.

下の段~The lower level
表向~The middle level
月見櫓(内側)~Tsukimi Turret(inside)
月見櫓(外側)~Tsukimi Turret(outside)
不明門~Akazuno-mon Gate
本段~The upper level

現在の天守は、外観復元され、博物館として使われています。本段を囲む石垣は元々秀家により築かれました。とても古風に見えます。
The present Tenshu has been apparently restored and used as a museum. The stone walls surrounding Hondan were originally built by Hideie. They look very old.

外観復元された天守~The apparently restored Tenshu
本段を囲む石垣~The stone walls surrounding the upper level

その後~Later History

明治維新後、岡山城は廃城となり、ほとんどの建物は撤去されました。本丸であった場所は学校の敷地として使われました。他の場所は市街地に変わっていき、堀は埋められました。元からあった天守は国宝として残りました。しかしながら、残念なことに1945年の岡山空襲で焼け落ちてしまいました。第二次世界大戦後、本丸は烏城公園として整備されました。1966年に天守は外観復元されまます。廊下門と不明門の2つの門も同時に外観復元されました。
After the Meiji Restoration, Okayama Castle was abandoned and almost all of its buildings were demolished. The Honmaru area was used as the ground for a school. The other areas of the castle were turned into the city area with their water moats being filled. The original Tenshu remained as a National Treasure. However, it was unfortunately burned down by the Okayama Air Raid in 1945. After World War II, the Honmaru area was been developed as Ujo Park. Tenshu was apparently restored in 1966. The two gates, Roka-mon and Akazuno-mon , were also restored apparently at the same time.

岡山城の鯱~A golden grampus of Okayama Castle

私の感想~My Impression

今は烏城公園と名付けられた岡山城に是非行っていただきたいです。後楽園と一緒に見学すればとてもよい思い出になります。願わくば、元の天守を見て、中に入ってみたかったです。あと、岡山市にはもっと市民に、岡山城が市の起源であることを知らせてもらいたいです。例えば、現存して街中に残る西手櫓はもっと知られるべきと思います。
Okayama Castle which is now named Ujo Park is a good place to visit. You can have great views and experience together with Korakuen Garden. I wish I could see and enter the original Tenshu. I also hope that officials will let people know the castle is the origin of Okayama City. For example, the remaining Nishite Turret among the city area should be known more to people.

西手櫓 ~Nishite Turret

ここに行くには~How to get There

車で行く場合:山陽自動車道の岡山ICから約20分かかります。公園に駐車場があります。
岡山駅から行く場合:駅の東口の岡山駅前電停から路面電車に乗って、城下電停で降りてください。岡山駅から歩いた場合、約20~30分かかります。
If you want to go there by car: It takes about 20 minutes from the Okayama IC on the Sanyo Expressway. The park offers a parking lot.
From Okayama Station: Take the tram from the Okayama-ekimae stop in front of the east exit of the station, and get off at the Joka stop. Or It takes about 20 to 30 minutes on foot from the station.

リンク、参考情報~Links and References

岡山城-川面に映える漆黒の城Okayama Castle
岡山城-川面に映える金烏城(Okayama City Museum)
・「よみがえる日本の城5」学研(Japanese Book)

43.犬山城~Inuyama Castle

この城には、様々な魅力があります。
This castle attracts you in several perspectives.

立地と歴史~Location and History

犬山城は、その古風な天守や、眺望がよく知られています。でもこの城にはもっと知られるべき見どころがあるのです。
Inuyama Castle is known for its old Main Tower or “Tenshu” and their landscape. But the castle has more attractions you can find.

犬山城の遠景~A distant view of Inuyama Castle(taken by nagabutinana from photoAC)

国境に立地~It is located around the boder of provices

この城は最初は1537年に地方領主の織田信安により築かれたと言われています。木曽川の畔、40mの高さの丘の上にあります。この地点は尾張国(現在の愛知県の一部)の端に当たり、尾張国と美濃国(現在の岐阜県の一部)の国境のすぐ近くでした。また、水上交通の要所でもありました。
It is said that the castle was first built in 1537 by a local clan, Nobuyasu Oda. It was located at the top of a 40m height hill beside Kisogawa River. The spot was on the edge of Owari Province ( now part of Aichi Pref.), right next to the border between Owari and Mino Province ( now part of Gifu Pref.), and it was also important for water transportation.

城の位置と尾張国の範囲~The location of the castle and the range of Owari Province

有力戦国大名の標的に~Great warlords targets it

結果として、戦国時代には多くの有力な戦国大名がこの城を手に入れようとしました。最初は、織田信長が美濃攻略の足掛かりとしてこの城を得ました。次には、豊臣秀吉が1584年の徳川家康との小牧長久手の戦いのときに、この城に本陣を構えました。
As a result, many great warlords aimed to capture the castle in the Warring States or “Sengoku” Period. First, Nobunaga Oda got the castle as the foothold before he invaded Mino. Secondly, Hideyoshi Toyotomi used the castle as his stronghold when he fought with Ieyasu Tokugawa in the Battle of Komaki and Nagakute in 1584.

織田信長肖像画、狩野宗秀作、長興寺蔵、16世紀後半~The portrait of Nobunaga Oda, attributed to Soshu Kano, owned by Chokoji Temple, in the late 16th century(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
豊臣秀吉肖像画、加納光信筆、高台寺蔵~The Portrait of Hideyoshi Toyotomi, attributed to Mitsunobu Kano, ownd by Kodaiji Temple(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

成瀬氏が城と町を支配~Naruse clan governs the castle and town

最終的には、徳川幕府が確立すると、幕府は成瀬正成を徳川の親藩である尾張藩の付家老として、この城に据えました。成瀬氏は大名ではありませんでした。それでも、江戸時代の間中例外として、大名のように犬山城と城下の支配を許されたのです。
Lastly, after the Tokugawa Shogunate was established, it placed Masanari Naruse at the castle as the Attendant Chief Retainer for Tokugawa’s relative Owari Domain. The Naruse clan was not a lord. However, they were allowed to govern Inuyama Castle and the castle town like a lord all through Edo Period as an exception.

成瀬正成肖像画、白林寺所蔵、江戸時代~The portrait of Masanari Naruse, owned by Hakurinji Temple, in the Edo Period(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
犬山城古図、犬山市城とまちミュージアム蔵、江戸時代~The Old Map of Inuyama Castle, owned by Inuyama Cultural Assets Museum, in the Edo Period(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

特徴~Features

城周辺の地図~The map around the castle

三方は急崖~Steep cliffs in three directions

現在、天守だけが現存していますが、城がどんなだったかは今でも見て取ることができます。城は北の方角の背後に木曽川があり、自然の要害になっています。城がある丘は三方向(北、東、西)が急崖であり、このようなしつらえはよく「後ろ堅固」と呼ばれます。更には、この崖はより垂直になるよう削られていて、このことを「切岸」といいます。その上、この辺りは深い空堀に囲まれていました。
Now, only the Tenshu remains, but we can still see how the castle was. The castle has a natural hazard as Kisogawa River in the back of the north side. The hill of the castle also has steep cliffs in three directions ( north, east and west). Such a condition is often called “back secure” or “Ushiro-Kengo”. In addition, the cliffs are cut more vertically which is called “Kirigishi”. Moreover, the area was surrounded by a deep dry moat.

北側の急崖~The steep cliff in the north side

南方に大手道~Main Route in the south

城は、南の方角に「大手道」と呼ばれる一本道でのみ開かれていました。今はその道に沿って簡単に城の中心と天守に行くことができますが、過去においては、5つの門によって厳重に守られていました。
The castle is open to only one route in the south called the Main Route or “Ote-michi”. It is easy to go to the center of the castle and Tenshu through the route now, but it was heavily guarded by five gates in the past.

大手道~The Main Route

門の間にまっすぐな部分がありますが、ここもまた高い壁と櫓がある曲輪に挟まれていました。最後の門である「鉄門」は再建されています。
The straight part of the route between the gates was also sandwiched by enclosures with high walls and turrets. The last gate called “Kurogane-mon” has been reconstructed.

まっすぐな部分~The straight part
再建された鉄門~The rebuilt Kurogane-mon Gate

天守の謎~Tenshu is mysterious

天守は国宝で、3層4階+地下2階となっています。初期の天守の形式である望楼型で、日本の現存天守では最古であるかもしれません。但し事はそう単純ではなくて、歴史家や建築家は天守は3段階で作られたと言っています。最初は2層の櫓として作られました。現存の1階と2階は古い工具と方法で作られています。
The Tenshu is a National Treasure. It has three layers and four levels with two extra basements. It shows the first Tenshu style called lookout tower type, and may be the oldest remaining Tenshu in Japan. But it is not that simple. Historians and architects say that Tenshu was built in three steps. The first step built a two story turret, as the remaining first and second floors are made with older tools and in practice.

犬山城天守~The Tenshu of Inuyama Castle
2階の内部~The interior of the second floor

3階と4階は塔のように外を見渡す用途で、新しい工法を使い、2段階目に付け加えられました。最後の段階で成瀬氏が、天守に唐破風や高欄を付けたりして装飾したのです。問題は、いつ最初の建築がなされたかです。もしそれが城の創建と同じ時期であれば、間違いなく最古の天守と言えるでしょう。将来明らかになるかもしれません。
The third and forth floors were added to look outside like a tower, using newer methods in the second step. Lastly the Naruse clan decorated Tenshu by adding a Chinese style gable called “Kara-Hafu” and a veranda at the top floor in the last step. The question is when the first step was done. If it is the same age as the castle itself, it is definitely the oldest Tenshu. It may be proven in the future.

天守の上層部分~The upper layer of the Tenshu(taken by マッハGGG from photoAC)

最上階が開放的なので、木曽川とその周辺の素晴らしい景色が眺めることができます。手摺を含む高欄は残っているそのままです。城主の大名と全く同じ体験ができるわけです。
You can see a great view of Kisogawa River and the area around from the open top floor. The veranda including its handrail is original. We can enjoy the exact same experience as the lords who owned the castle.

天守からの木曽川の眺め~A view of Kiso-gawa River from Tenshu
元来からの高欄の手摺~The original handrail of the veranda(taken by ACJOE from photoAC)

その後~Later History

明治維新後、犬山城は廃城となり、天守を除く全ての建物は撤去されました。1891年、濃尾地震により天守が半ば倒壊しました。その後、以前の領主だった成瀬氏が、彼ら自身で復旧することを条件に再び城を保有しました。犬山城は最近まで私有されていたのです。その間、天守は国宝に指定されました。2008年、犬山城白帝文庫という法人が設立され、将来への保存のため、城を保有することになりました。それ以来、調査研究が続けられています。
After the Meiji Restoration, Inuyama Castle was abandoned and all its buildings were demolished excluding the Tenshu. In 1891, the Tenshu collapsed partly due to the Nobi Earthquake. After that, the former lord, the Naruse clan owned the castle again on the condition that they would restore it. Inuyama Castle had been privately owned until recently. Meanwhile, it was designated as a National Treasure. Such a case was very rare. In 2008, a corporation called Inuyama-jo Hakutei-bunko was established and it has owned the castle to preserve it in the future. Since then, investigations and developments have been done.

2019年修繕中の天守~Tenshu under repairing in 2019

私の感想~My Impression

元々、犬山城は戦いのために築かれました。江戸時代には美しい眺望でも知られるようになりました。成瀬氏は城下町も発展させました。その雰囲気は今に残ります。城に行く途中で通って行けます。この城は今や重要な歴史遺産になりました。この城のいろんな側面を見ていただきたいと思います。
Originally, Inuyama Castle was built just for battle. It also became a beautiful landscape in the Edo Period. The Naruse clan developed the castle town, too. Its atmosphere remains even now. You can enjoy it on the way to the castle. The castle is now becoming more important for cultural heritage. I hope you will see many perspectives of the castle.

浮世絵に描かれた犬山城、「木曽街道鵜沼宿」渓斎英泉作、江戸時代~Inuyama Castle in a Ukiyoe painting, “Unuma on Kiso-kaido Road” attributed to Eisai Keisai in the Edo Period(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
現在の城下町~The castle town now(taken by fuku41 from photoAC)

ここに行くには~How to get There

ここに行くには、電車をおすすめします。
犬山駅から:途中城下町を通って歩いて約20分です。
犬山遊園駅から:木曽川沿いを通って歩いて約15分です。
名古屋から両駅まで:名鉄名古屋駅から名鉄犬山線の快速特急に乗ってください。
車の場合は、東名高速道路の小牧ICから約12kmですが、城周辺の道路は混雑気味で、駐車場もあまりありません。
I recommend using the train to get there.
From Inuyama station: it takes about 20 minutes on foot, going through the castle town on the way.
From Inuyama-Yuen station: it takes about 15 minutes on foot, going along Kisogawa River.
From Nagoya to both stations: Take the rapid limited express on Meitetsu Inuyama line from Meitetsu Nagoya Station.
If you want to go there by car, it is about 12 km from the Komaki IC on the Tomei Expressway. But the roads around the castle tend to be crowded, and there are a few parking lots.

リンク、参考情報~Links and References

国宝犬山城Inuyama Castle, National Treasure
・「よみがえる日本の城3」学研(Japanese Book)
・「城の科学、萩原さちこ著」講談社ブルーバックス(Japanese Book)