77.高松城 その2

海城の面影が残っています。

特徴、見どころ

艮櫓を見ながら城内へ

現在、高松城跡は玉藻公園となっています。(玉藻とは日本の古来からの言葉で、「美しい藻」といった意味です。)公園の範囲は、城の内堀と一部の中堀の内側となっています。公園にはいくつかの入口がありますが、もし車で来られるのでしたら、城の大手門である旭門前に駐車することができます。駐車場からは、現存する三階櫓である艮(うしとら)櫓が近代ビルを背景に見えて、とても壮観です。実はこの櫓は、1967年に東の丸から現在の位置に移設されてきたのです。

城周辺の航空写真

駐車場から見た艮櫓

中堀にかかっている旭橋を渡って門の中に入っていきます。また、防御のために作られた、桝形と呼ばれる大きな石垣に囲まれた四角い空間を通り抜けていきます。

旭橋を渡って大手門へ
門の内側の桝形

三の丸、二の丸、そして本丸の天守台へ

門の内側は桜馬場で、現在はたくさんの桜の木が植えられています。そこから、土橋を渡って桜門跡と三の丸に入っていくのですが、2022年2月現在、この門の場所は工事中で、この年の春には復元されることになっています。よって、仮設通路を通って進みます。

桜馬場
三の丸に向かう土橋
復元工事中の桜門
仮設通路

三の丸には、飛雲閣という伝統的様式による屋敷が残っています。これは城があった時代のものではなく、近代になって元の藩主であった松平氏の住宅として建てられたものです。現在では高松市の所有となっていて、式典や行事のために使われています。三の丸には日本庭園もあって、見て回ることができます。

飛雲閣
三の丸の日本庭園

三の丸から更に進むと、二の丸と、天守台石垣が残る本丸となります。本丸に行くには、鞘橋と呼ばれる屋根付きの木橋を渡っていくしかありません。この橋は復元されたものです。

二の丸から本丸へ
鞘橋
鞘橋の入口

天守台の上に登って行くこともでき、そこからの眺めはとても良いです。天守台の内部は最近になって修繕されました。実は、高松市は天守を復元することを検討中です。

天守台石垣
天守台の内部
天守台からの海側の眺め

海岸沿いにあった月見櫓

かつては海に接していた公園の北側にも行ってみることをお勧めします。もう一つの現存する三階櫓である月見櫓が、これも現存する水手門、渡櫓とともに残っています。水手門はかつては海に向かって開いていて、このような門としては唯一の現存例です。月見櫓は、多くの装飾が付けられていてとても美しく見えます。過去は海岸沿いにあったことを想像してみてください。

月見櫓、水手門、渡櫓
かつてはここが海でした
美しい月見櫓

「高松城その3」に続きます。
「高松城その1」に戻ります。

169.米子城~Yonago Castle

この城には2つの天守が並び立っていました。
Two main towers stood in a row at the castle.

立地と歴史~Location and History

海に面した城~A castle facing the sea

米子市は、中国地方の鳥取県西部にあり、ゆったりした雰囲気を感じる所です。戦国時代には中国地方のほとんどを毛利氏が支配していました。その一族である吉川広家は、天下人の豊臣秀吉に海の近くに新しい城を築くよう命じられ、それは1592年の秀吉の朝鮮侵攻の補給基地の役割がありました。この辺りは朝鮮に近かったからです。それが米子城でした。
Yonago City has a relaxed atmosphere, located in the western part of Tottori Prefecture, Chugoku Region. In the “Sengoku”, or Warring States Period, the Mori clan governed most of this region. Its relative Hiroie Kikkawa was ordered to build a new castle near the sea by the ruler Hideyoshi Toyotomi as a supply base for Hideyoshi’s invasion of Korea in 1592. Because the area is close to Korea. That was Yonago Castle.

城の位置~The location of the castle

この城は、湊山と呼ばれる90mの高さの山の上に築かれました。城の背後はちょうど中海に面しており、港として使われていました。初期の城に関する詳細は不明なのですが、頂上には4階の天守がありました。
The castle was built on a 90 m mountain called Minato-yama. The back of the castle just faced Nakaumi Lake, and was used as a port. The details regardomg the first castle are uncertain, but there was a four-story main tower or Tenshu on the top.

城周辺の航空写真~The aerial photo of around the castle

2つの天守が並ぶ~Two Main towers stands

徳川幕府が設立された後は、1600年に米子城と米子藩の領主として、中村一忠が配置されました。一忠は城と城下町の拡張を続け、完成させました。彼はまた、新しく元あった天守より大きな5階の天守を築きました。その当時、大きな天守を築くことが大名たちの間でブームとなっていました。民衆に権威を示すためです。既に古い天守があった場合には、大抵は置き換えられました。
After the Tokugawa Shogunate was established, they placed Kazutada Nakamura as the lord of Yonago Castle and the Yonago feudal Domain in 1600. He continued to improve and complete the castle along with the castle town. He also built a new five-story Tenshu that was larger than the old one. At that time, building large Tenshu was a boom for lords, as they tried to show their authority to people. If there was already an old Tenshu, it was often replaced with the new one.

中村一忠の彫像、観應寺蔵~The statue of Kazutada Nakamura, owned by Kannouji Temple(licensed by Reggaeman via Wikimedia Commons)

しかし、米子城の場合は、元あった4階の天守は残され、単に名前が副天守または四階櫓と変えられただけでした。つまりそれ以来、2つの天守が並び立っていたのです。何と勇壮な姿だったことでしょう。
However, in the case of Yonago Castle, the old four-story Tenshu remained and was just renamed the Sub Main Tower or the Four-Story Turret. That meant two Tenshu were standing in a row since then. They must have looked so great!

米子市立山陰歴史館にあるツイン天守の模型~A miniature model of twin main towers at Yonago municipal historical museum

鳥取藩の所有となる~Tottori feudal Domain owns

1609年、一忠は若くして亡くなり、彼には後継ぎとなる子どもがいなかったため、改易となってしまいました。最終的には米子は池田氏による鳥取藩に属することになります。池田氏は一時、当時の本拠地である鳥取城から、米子城に移り、ここを新本拠地にすることを検討しました。それだけ米子城が魅力的だったのですが、結局は中止になりました。結果、鳥取藩の家老である荒尾氏が米子城とその城下町を江戸時代いっぱい統治しました。
In 1609, Kazutada died young, then his clan was disbanded because he didn’t have children or successors. Lastly the Yonago area belonged to the Tottori feudal Domain owned by the Ikeda clan. The clan once considered Yonago Castle as their new home base by moving from their current home base, Tottori Castle. Yonago Castle was attractive to them, but the plan was canceled. Finally, the Arao clan, chief retainer of Tottori Domain governed Yonago Castle and the castle town until the end of the Edo Period.

米子城古図、鳥取県立博物館蔵~The old map of Yonago Castle, owned by Tottori Prefectural Museum(米子市 Website より引用)

特徴~Features

城周辺の地図~The map aroud the castle

頂上へ上る~Climbing up to the top

現在、米子城の城跡は湊山公園として残っています。基礎の上に石垣がありますが、現存する建物はありません。城を訪れる人は通常は城の正門であった大手門跡から頂上の方に上っていきます。他にもいくつか登り口があります。
Now, the ruins of Yonago Castle remain as Minato-yama Park. There are stone walls on their foundation, but with no remaining buildings. Visitors can usually climb up to the top from the ruins of the Main Gate or Ote-mon which was the front entrance of the castle. There are also several trails to climb.

大手門跡~The ruins of the Main Gate
向こうに見える長屋門は他から移されてきました~The long house style gate over there was moved from another place.

山はそれ程高くありませんので、15分か20分くらいあれば頂にある城の中心地に到達できます。
The mountain is not so high, so you can reach the center of the castle at the peak in around 15 to 20 minutes.

山頂への山道~A trail to the top

2つの天守台~The two stone wall bases for Tenshu

そこには2つの天守のための天守台石垣があります。新しい天守用の方は古い石を使い、三段積みの形式となっています。
There are stone wall bases for two Tenshu. The one for the new Tenshu has a three-layer style using older stones.

2つの天守台~The two stone wall bases for Tenshu
新しい天守用の三段積み石垣~The three-layer style stone walls for the new Tenshu

一方、古い天守(副天守)用には新しい石を使い、一層積みとなっています。これは、江戸時代後期に古い天守が大改装されたからです。この時、天守台が置き換えられたと言います。
On the other hand, the one for the old Tenshu (Sub Main Tower) has a single-layer style using newer stones. This is because the old Tenshu was renovated in the late Edo Period. It is said its base was replaced then.

古い天守用の一層積み石垣~The single layer style stone walls for the old Tenshu

本丸とその他の曲輪~Main and other enclosures

鉄門と呼ばれる正門跡を通り過ぎると、本丸に入っていきます。
Going through the front gate ruins called Kurogane-mon, you will enter the Main enclosure or “Honmaru”.

鉄門跡~The front gate ruins

この曲輪からは、城を囲む市街地、海そして山の素晴らしい景色を堪能できます。但し、周りに柵がありませんので、足元お気を付けてください。
From the enclosure, you can get a great view of the surrounding area such as the city, the sea and mountains, but watch your steps, because there are no fences.

本丸の眺め~A view of the Honmaru
本丸からの眺め~A view from the Honmaru
足元にお気をつけください~Watch your step

本丸には水手門という裏門もあり、かつては港につながっていました。
Honmaru also has the back gate ruins called Mizunote-mon which led to the port in the past.

水手門跡~The back gate ruins
かつて港だった場所~There was the port in the past

城には、他にも山麓に二の丸があり、内膳丸というのもありました。内膳丸は山の中腹なり、見張りや連絡のために使われました。最近の発掘調査により、かつてはこの曲輪から本丸にまっすぐ通じる石垣でできた通路があり、登り石垣と呼ばれました。歴史家は、朝鮮侵攻のときに日本軍が似たような仕組みを作ったことから、これは吉川氏がその時の経験を基に作ったのではないかと考えています。
The castle had other enclosures like the Second enclosure or “Ninomaru” on the foot and “Naizen-maru” enclosure. Naizen-maru is on the midslope and was used for observation and connection. A recent excavation found that this was the direct route made with stone walls called Nobori-Ishigaki from this enclosure to Honmaru in the past. Historians say it might have been built by Kikkawa from the experience of the invasion of Korea where Japanese warriors built similar systems.

内膳丸~Naizen-maru enclosure
内膳丸から本丸を見上げる~Looking up Honmaru from Naizen-maru

その後~Later History

明治維新後、米子城は廃城となり、元藩士に無償で譲渡されました。しかしながら、城をそのまま維持するは大変困難でした。すべての城の建物は、廃材として売られていきました。1933年、米子市が城跡を取得し、しばらくして湊山公園として整備しました。2006年に城跡は国の史跡に指定されました。それ以来、発掘調査が進められています。
After the Meiji Restoration, Yonago Castle was abolished and assigned to former warriors for free. However, it was too difficult for them to keep the castle as it had been. They had to sell all of the buildings in the castle as waste materials. In 1933, Yonago City owned the castle ruins, then developed them as Minato-yama Park after a whole. The ruins were designated as a National Historic Site in 2006. Since then, excavation and investigations have been ongoing.

登り石垣跡~The ruins of Nobori-Ishigaki(licensed by Saigen Jiro via Wikimedia Commons)

私の感想~My Impression

もし藩士たちが少しでも城の建物を残していてくれたらと思います。そうであったなら現在の松江城のようになっていたでしょう。どちらにしろ米子城跡に訪れる価値はあります。とてもゆったりできますし、観光客も市民も歴史を学ぶ場になります。
I wish the warriors could have kept some of the castle buildings so I could see them today like Matsue Castle. In any case, the ruins of Yonago Castle are still attractive. Visiting the ruins can be relaxing, an exercise and an opportunity to learn history for tourists and citizens.

2つの天守台を町から見上げる~Looking up the two Tenshu bases from the town

ここに行くには~How to get There

車で行く場合:山陰自動車道米子西ICから約4kmです。公園に駐車場があります。
電車では、JR米子駅から歩いて約20分です。
米子空港から米子駅まで:米子空港駅から境線に乗るか、空港連絡バスに乗ってください。
If you want to go there by car: It is about 4 km from the Yonago-Nishi IC on San-in Expressway. The park offers a parking lot.
By train, it takes about 20 minutes on foot from JR Yonago station.
From Yonago Airport to Yonago station :Take the Sakai line from Yonago-Kuko station, or take the connecting bus for Yonago station.

米子駅~Yonago Station

リンク、参考情報~Links and References

国史跡 米子城跡(Yonago City Official Website)
・「歴史群像150号、戦国の城/伯耆米子城」学研(Japanese Magazine)
・「よみがえる日本の城6」学研(Japanese Book)