124.品川台場 その2

台場は基本的に、敵からの銃や大砲の標的にならないよう、平面的に設計されています。よって、公園に行ってしまうとなかなかその全体像がつかめません。それなので、現地に行く前か後に、鳥観図のような景色を見ていただきたいのです。

その後

品川台場のその後の運命は少々複雑でした。
一番台場と五番台場は、埋め立てにより消滅しました。
二番台場と七番台場(工事が中止されたまま残っていました)は、海上交通の便のため撤去されました。
四番台場(七番台場と同じ事情)は造船所の敷地として使われました。ただ、その敷地は今ではウォーターフロントの再開発地区「天王洲アイル」となっています。そのボードウォークの基礎部分に、四番台場の残存石垣を見ることができます。
三番台場と六番台場が最終的に史跡として残りました。1926年には国の史跡に指定され、三番台場については1928年に台場公園として一般に公開されました。

「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」、三世歌川広重作、明治時代、二番台場は灯台として使われていました、出典:東京都立図書館

1945年~1950年頃の品川台場周辺の航空写真

1975年頃の品川台場周辺の航空写真

天王洲アイル
天王洲アイルのボードウォーク
ボードウォークを支える四番台場の石垣

ここに行くには

前項で申し上げました通り、5つの完成した台場のうち、三番台場と六番台場が現存しています。そして、三番台場のみが公園として一般に公開されています。その台場公園と名付けられた三番台場跡に行くには、ゆりかもめ線のお台場海浜公園駅から歩いて約10分かかります。

お台場海浜公園駅

田町駅から歩く

しかし、もし2つの台場跡(三番と六番)の全景をご覧になりたいのでしたら、以下の行き方を試してみて下さい。
JR山手線の田町駅で電車を降ります。田町駅の東口から外に出てください。なぎさ通りの沿ってしばらく進んでください。そうするうちにレインボーブリッジが見えてきます。

田町駅東口
なぎさ通り
通りに沿って進みます
レインボーブリッジが見えてきました

この橋には両側(北側と南側)に遊歩道が付いています。橋の芝浦口(西詰の入口)から中に入り、エレベータで上にあがってください。台場跡は南側にあるので、南ルートを選んでください。歩道をまっすぐ進んでいくと、まず最初に六番台場が見えてきます。

レインボーブリッジ芝浦口
遊歩道入口
エレベータの中
南ルート

鳥の楽園のような六番台場

六番台場は今でも東京の湾上に孤立しています。大砲や関連施設は撤去されていますが、できるだけオリジナルの状態を保つために、そのまま放置されています。そのため一見するとかつてあったようにも見えるのですが、よくよく見てみると、台場中が木々と無数の参集している鳥たちによって覆われています。特別な許可をもらって上陸した歴史家によると、そこには悪臭が立ち込め、元からあった構造物の中には自然と崩壊しているものもあったそうです。まるで鳥の楽園に化しているようです。この台場の保存のあり方には再検討が必要かもしれません。

六番台場に近づいていきます
六番台場
繁茂した木々に無数の鳥たちが集まっています
六番台場を過ぎ去ります

すばらしい三番台場の眺め

橋の歩道は緩やかな下り坂となり、台場公園に近づくとともに、三番台場の姿が次第に大きくなってきます。ちょうど台場の船着き場の正面に立ったあたりで最大となり、見事な絵柄となります。鳥になって見ている気分です。個人的には六番台場よりずっとよい状態に見えます。台場は基本的に、敵からの銃や大砲の標的にならないよう、平面的に設計されています。よって、公園に行ってしまうとなかなかその全体像がつかめません。それなので、現地に行く前か後に、鳥観図のような景色を見ていただきたいのです。

今度は三番台場に近づきます
真正面からの素晴らしい眺めです
先端にある「品川台場」の標柱
台場を囲む石垣

「品川台場その3」に続きます。
「品川台場その1」に戻ります。

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しました。よろしかったらご覧ください。

162.出石城・有子山城 その2

有子山城跡本丸の上には休憩所と説明板しかありません。しかし、麓から約300mの高さがある頂上からの眺めは最高です。本丸の石垣は、麓から見えていたあの石垣です。

特徴、見どころ

神社の参道を通って有子山城跡へ

前節でご説明しました通り、出石地区には出石と有子山という2つの城跡があります。後者(有子山)の方が前者(出石)より古い城跡となりますので、この記事では最初に有子山城跡を訪れるという形にしたいと思います。有子山城跡への入口は、有子山稲荷神社の入口にもなっていて、その神社は出石城跡の最も高い位置にあります。したがって山の麓からは神社参道の石段を、数多くの赤い鳥居をくぐりながら登って行くことになります。

城周辺の地図

有子山稲荷神社の参道

その間、出石城跡の何段もの曲輪群や、すばらしい石垣、復元された建物も目にします。神社の建物より上の方に、山頂への登山口があります。登山にはハイキングの装備と、野生動物を避けるためのアイテム(熊鈴かラジオ)が必要です。

右側が出石城跡の本丸、二の丸です
有子山稲荷神社
有子山城跡への登山口
野生動物には気を付けましょう

自然の障壁としての急坂

道はとても急で、山の峰の上をまっすぐに登っていきます。これは城にとっては自然の障壁となったでしょう。その途中でやや緩やかになりますが、代わりに道筋が曲がりくねり、それから細くなって人工の堀切を越えていきます。これは恐らく、防衛のため意図的に作った関門でしょう。

峰上の急坂
道がジグザグになっている箇所
その後ろは堀切を渡る土橋になっています
堀切部分を上から見ています

その後、山道はまた急になり、城巡りのビジターにとってはきつすぎるかもしれません。しかし、やがて頂上付近のエリアにたどり着き、道は右に曲がって回り道となります。それまで見てきた城跡は土造りでしたが、周辺に石垣が残っているのがわかります。それは恐らく、道の下方に井戸曲輪があって、石垣は井戸を崩壊や埋没から防ぐために築かれたのでしょう。

道はまた急になります
ここから右に曲がり平らになります
道の下に井戸曲輪があります
井戸の上にある石垣

頂上の6段の曲輪群

山道は今度は左に曲がり、頂上にある城の主要部分に向けて再び登り始めます。主要部分は6段の曲輪群となっていて、全て自然石か粗く加工された石を使った石垣によって囲まれています。城のために築かれた石垣としては古い部類に属していて、恐らくは藤堂高虎によって築かれたのでしょう。

城主要部の地図

城の主要部に登っていきます
石垣が見えてきました

参考までに先ほどの山道を登らないでまっすぐに行くと、石垣に使った石を切り出した場所があります。

先ほどの分岐点をまっすぐ行くと石切場です
こちらが石切場です

曲輪群は下の第6曲輪から一番上の本丸まで一直線に並んでいます。多くの石垣は、崩壊を防ぐためにワイヤーネットで覆われています。

第6曲輪の石垣
左上が第5曲輪の石垣、右下が第6曲輪の石垣

本丸の上には休憩所と説明板しかありません。しかし、麓から約300mの高さがある頂上からの出石地区の眺めは最高です。本丸の石垣は、麓から見えていたあの石垣です。

第2曲輪から本丸へ
本丸の上
本丸からの景色
本丸の石垣

山の上とは思えない広さの千畳敷

千畳敷は主要部のとなりにあって、人工の巨大な堀切によって隔てられています。そこに行くには、第4曲輪の上から通じる道をたどります。千畳敷はほとんどが土造りなのですが、山の頂上部分としてはとても広く、城主の館か大軍の駐屯地として使われたと思われます。

第4曲輪の脇から道が出ています、石垣は第3曲輪のものです
本丸と千畳敷を隔てる堀切
千畳敷
千畳敷から見た本丸

「出石城・有子山城その3」に続きます。
「出石城・有子山城その1」に戻ります。

194.佐伯城 その2

この城の石垣はそんなに高くはありませんが、山の形に合わせて積んでいるのでとても美しく見えます。

特徴、見どころ

4つの登山道

現在、佐伯城跡は佐伯市によってよく整備されています。城跡は、頂に素晴らしい石垣を残す山上部分と、御殿の門が残り歴史博物館もある山麓部分から構成されています。どちらから先に行くのかはその人次第ですが、ここではまず山上部分から行ってみることにしましょう。山頂へ至る登山道は4つあり、そのうちの3つは現存する門の近くの山の正面からスタートします。その3つとは、「独歩碑の道(郷土出身の小説家国木田独歩の記念碑が到着地点にあるための命名と思われます)」「翠明の道」「登城の道」です。「独歩碑の道」が一番なだらかで、山頂にある神社への参道として舗装もされています。「翠明の道」は、自然の山道といった感じで峰上を進みます。最後の「登城の道」が実はおすすめです。この道は急で、道の状態も不安定ですが、オリジナルの状態に近いと思われるからです。

城周辺の地図

独歩碑の道
独歩碑の道はゆるやかで舗装されています
翠明の道
翠明の道は峰上を進みます
登城の道

この「登城の道」は山の峰の間の谷間をジグザグに進んでいきます。谷沿いにはいくつも水流が流れていたり、倒木や崩れた石が転がっているので足元に気を付けて下さい。これらの石は、道沿いにあった石垣や石積みから崩れてきたように思われます。途中でまだ残っているものを目にするからです。

谷沿いに転がっている石
ジグザグに進む登城の道
道沿いに残る石垣

山上のすばらしい石垣

15分から20分登れば、今でもすばらしい石垣に覆われている山上部分に到着します。ここの石垣はそんなに高くはありませんが、山の自然に地形に沿って山上を全体的に覆っています。多段になっている箇所もあります。例えば熊本城などの他の城で見られるような高石垣ではありませんが、山の形に合わせて積んでいるのでとても美しく見えます。また、石の一部は白い色をしているので、これは石灰岩を使っているようです。つまり、設計段階から城を外観をよく見せようとしたものと思われます。

山上部分に到着
自然の地形に沿って築かれた石垣
白い石が使われている本丸の石垣

本丸への唯一の通路

登山道の終着点から進んでいくと左側の方に、本丸と二の丸をつなぐ廊下橋と呼ばれる石橋が見えてきます。実はこの橋は、かつては唯一の本丸への通路でした。そのため全ての登城者はまず二の丸に入ってからこの橋を渡り、狭い本丸の入口を通りました。戦いが起こったときには、この橋は落とされるか、使えないようになっていたかもしれません。

城の山上部分

廊下橋と二の丸入口が見えます
廊下橋
二の丸入口から入ります
廊下橋を渡って本丸へ
本丸から見た廊下橋

本丸の天守台には小さな祠があります。以前は毛利神社の大きな建物があったのですが、不幸にも第二次世界大戦のときの空襲で焼けてしまいました。現在本丸の出入りには、神社が創建したときに作られた、オリジナルの入口の反対側にある、新しい石段を使うこともできます。

本丸の石垣
天守台にある祠
かつて天守台にあった毛利神社の写真、佐伯市歴史資料館にて展示
新しく作られた石段

本丸からこの階段を下りて、もう一つの登山道「独歩碑の道」の終点のところまで来ると、門(冠水門)の跡があります。この場所は佐伯市街地や佐伯湾を望む絶好のビュースポットです。

冠水門跡
門跡からの景色

「佐伯城その3」に続きます。
「佐伯城その1」に戻ります。