172.三原城 その2

今私たちがいるところは、かつての本丸で、周りもすっかり市街地になっているのですが、ところどころ、海城の痕跡が残っているのです。前半は、そんなスポットを巡ってみましょう。後半は、駅の反対側に残っている天主台に行ってみます。まわりを歩いて、その大きさを実感したり、駅に直結した通路から、天主台の上に登ってみます。これぞ「城の駅」です。さっそく出発しましょう。

特徴、見どころ(海城・三原城めぐり)

Introduction

前回の新高山城跡見学に引き続いて、三原駅に着いたところです。駅には、三原城の素晴らしい絵が飾られていて、気分が盛り上がります。すぐ近くには三原観光協会があって、情報収集もできます。

三原駅前に飾られている「絹本著色登覧画図」(複製)

今私たちがいるところは、かつての本丸で、周りもすっかり市街地になっているのですが、ところどころ、海城の痕跡が残っているのです。前半は、そんなスポットを巡ってみましょう。後半は、駅の反対側に残っている天主台に行ってみます。まわりを歩いて、その大きさを実感したり、駅に直結した通路から、天主台の上に登ってみます。これぞ「城の駅」です。さっそく出発しましょう。

城周辺の航空写真

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

かつてのフロントラインを歩く

すっかり市街地になったといっても、意外と海城の形は残っているのです。昔の絵図を見ると、本丸と二の丸が堀に囲まれていますが、そのラインを、街の中に追ってみようと思います。

「備後国之内三原城所絵図」、出展:国立公文書館

駅前広場から通りを渡って、右側にある通りが、大体そのラインに沿っています。ということはこの通りはお堀だったのです。と思っていたら、堀が残っています。実際は、通りを含めてもっと幅が広かったのでしょう。お堀沿いには石垣も残っています。

駅前の通りを渡って右に進みます
最初に入れる通りへ左折します
通りには堀と石垣が残ります(一部復元)

説明パネルがあって、本丸中門跡ということです(「二の丸中門」ではないかという意見もあるようですが)。ここは、西側に張り出した二の丸の一部から渡れるようになっていたのです。限られた出入口の一つでした。今も施設の出入口として使われているところがいいです。

本丸中門跡

お堀を追って行きましょう。堀が切れた角のところに、石碑があります。「三原城 臨海一番櫓跡」とあります。ネーミングのおかげで、ここが曲輪の端で、この先が海だったことがわかります。ということは、ここを曲がった通りは、海に面した曲輪のラインなのです。この歩いている道の右側がみんな海でした。そして、左側には、二番櫓、三番櫓が続いていました。このまま行くと、別の隅っこに着きます。そこが、次のご案内場所です。石垣が見えてきました。

臨海一番櫓跡
この通りが海岸のラインだったことになります
街なかに石垣が現れます

城町(しろまち)公園のところに、船入櫓跡の石垣が残っているのです。こちら方が先にできたのですが、街中に突然現れる感じがします。石垣自体は、福島時代以降に築かれたとされています。石垣のラインが折れ曲がっていいますが、ここは船入なので、敵船がきたときに、いろんな方向から反撃できるようにしたのです(横矢)。

船入櫓跡の石垣
石垣の折れ曲がっている部分

そして、なによりも面白いところが、曲輪の南東の隅に当たる場所にあります。石垣の石ではなさそうな岩があります。これは、元からあった岩礁なのです。ここは元あった島の一つ(小島)で、残っているこの岩礁がその証拠なのです。その周りも少しお堀として残しています。

曲輪の南東隅に向かいます
かつての「小島」時代から残る岩礁

明治時代に撮られた古写真と比べると、今は全然違う様子ですが、この岩だけは、島だったとき、城だったとき、周りが市街地になってからも生き残ったのです。

明治時代の周辺の古写真、現地説寧パネルより

まだ残っていた船入

船入櫓の傍らには、船が入れる「船入」があったのですが、今は、岩礁の廻りのこの細い堀を残して、埋められてしまっています。でも実は、この奥の方に船入の一部が残っているのです。行ってみましょう。

船入櫓跡周辺の現況

通りを少し歩きます。かつては、大体この左側が船入でした。左に曲がって、ずっとまっすぐ行くと、突き当りのところに水辺があります。錦鯉が泳いでいます。ここがわずかに残っている船入なのです。一部とはいえ、船が入ったところだとわかります。向こう側の岸は、二の丸への入口から、曲輪の東側のラインが残ったものです。

石垣の前が船入でした
この先を左折します
わずかに残る船入

そのラインの先は船入櫓跡になっていて、石垣の上も公園になっています。そこにも行ってみましょう。今いるところは行き止まりになっているので、少し戻る必要があります。一旦三原駅の方に向かいます。案内があるので、斜めの道に入っていきましょう。

三原駅前の方に行きます
案内があるので、脇の道に入ります

また船入が見えてきて、この辺からまた曲輪のラインに沿っています。登って行く感じが、島っぽくていいです。門がお出迎えで、入ってみると、垣根に囲まれた何気ない空間です。

船入沿いに進みます
門がお出迎え
船入櫓跡

しかし周りと比べると随分高くなっています。しかも昔は周りは海だったのです。櫓があったらしい場所もあります。角地の下が例の岩礁です。ここも島時代から、現代に生き残っているのです。

櫓跡から石垣を見下ろしています
櫓の建物跡か
この下に先ほど見た岩礁があります
下に見えるのは別の岩礁のようです

最大級の天主台を見学

後半は、天主台を中心にご案内します。また駅前に戻っています。ここが本丸だったので、スタート地点にはちょうどいいです。今度は駅の反対側にいきます。また石垣が見えます。駅をくぐっている間にあるのが本丸の石垣で、出たところに現れるのが、小早川隆景が築いた天主台です。この隅の石垣の積み方がなんともかっこいいです。

駅前から左側に見える通路を進みます
天主台は駅の北側にあります
手前が本丸の、奥が天主台の石垣

こちら西側の石垣は、その特徴から、隆景の時代に積まれたと考えられています。「あぶり積み」という方法で積まれています。通常は石の広い面を寝かせて積むのですが、この方法では広い面を表に出して積んでいるそうです。安定的ではないので危険な積み方とも言われるのですが、今でも健在です。当時としては最高レベルの職人技だったのでしょう。高さは約13メートルで、堀から直接積み上げる石垣としては最古級とのことです。

天主台西側の石垣、背景は桜山
天主台石垣の北西側


北側正面から見た天主台です。駅と一体化している姿も、定番になってきたように思います。その近くに、一部復元された後藤門石垣というのがあります。城の南側が海だったので、北側に西国街道が通り、その途中に後藤門があったのです。

天主台石垣の北側
後藤門石垣(一部復元)

石垣を越えから見える天主台東側は、福島時代の改修または増築なのだそうです。隅の算木積みの積み方を比較すると、新しい福島時代方が整っているとのことです。

天主台石垣の北東側

これぞ「城の駅」

最後のセクションでは、駅から天主台の上に登ってみましょう。「城の駅」を堪能します。先ほど通った駅前から天主台への通路の途中から、駅構内に入っていきます。右側が改札ですが、私たちは左に曲がって、階段を登ります。天主台の案内があります。向こう側に見える絵は、海に面した城の姿でしょう。

天主台に向かう途中を右折して駅構内に入ります
左側が天主台方面、右側が改札方面
天主台入口案内

ここが入口のドアです。ドアを開け閉めして階段をまた上がります。天主台上に到着です。ゴツゴツした感じがして、ここも島だったという雰囲気があります。実際、新幹線の工事のときに、島を削って造成したことがわかったそうです。

天主台へのドア
天主台の上に到着
新幹線工事のときの様子、三原市歴史民俗資料館にて展示

周りを歩いてみましょう。天主台というより、曲輪という感じもします。実際に隅には櫓が3基ありました。駅に一番近いところに一基、そこから離れていって、北西隅のところに一基、元々城があった桜山を見ながら、進んだ先の北東隅にも一基あったのです。

天主台の中心部
駅に一番近い櫓跡
北西隅の櫓跡
北東隅の櫓跡、桜山も見えます

「城の駅」らしさをもっと体感してみたければ、新幹線が通り過ぎたり、発着するのを眺めましょう。

登りの「のぞみ」が三原駅を通過するところ

関連史跡

他の見どころも少しご紹介します。まず「水刎(みずはね)」です。昔の絵図で見ると、堀と一緒に外側の川(和久原川)が曲げられているところで、水の流れを緩やかにするために築かれた石垣です。

水刎

それから城の西の方、西国街道沿いのかつての城下町には、今も古い町並みが残っています。

西国街道沿いに残る旧家

その周辺には、三原城から移されたと伝わる門(順勝寺山門)や、新高山城から移されたと言われる門(宗光寺山門)があります。宗光寺山門については、建物の形式からは、福島時代に建てられたとも考えられるそうです。

宗光寺山門

私の感想

最期は、三原港に来てみました。意外と駅から近いところにあります。残っている史跡をめぐってみて、海城・三原城を想像することができました。それに昔、島だったところが、天主台や櫓跡として市街地の中で残っているのを見て、先祖返りしたようにも思えました。自然の地形が、ずっと今の町の姿にも影響しているのです。

三原港

リンク、参考情報

三原城跡、三原観光navi(三原観光協会)
中井教授インタビュー、三原市
戦国ジジイ りりのブログ
まっつんのブログ 明るく楽しく元気よく!
・「ミネルヴァ日本評伝選 小早川隆景・秀秋/光成準治著」ミネルヴァ書房
・「小早川隆景のすべて」新人物往来社
・「”大気”な武将 小早川隆景/中西豪著」歴史群像125号記事
・「三原城本丸大広間についての考察 /佐藤大氏論文」 広島大学学術情報リポジトリ

「三原城・新高山城 その1」に戻ります。
「新高山城 その2」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

172.三原城~Mihara Castle

過去は海の城、今は駅の城
Sea castle in the past, Station castle in the present

立地と歴史~Location and History

毛利氏の海軍基地~Navy Base for Mori Clan

三原城は最初は、戦国時代の16世紀後半に中国地方を支配していた毛利氏の支族、小早川隆景が築きました。毛利氏は近畿地方の織田氏から侵略されていて、それを防ぐための大きな城で、海軍の基地としても使えるものを必要としていたのです。三原城はそのうちの一つで、沼田川の河口にあったデルタ地帯の島の上に築かれました。この地域は三原浦と呼ばれており、そのためその城も三原城と呼ばれました。このような立地は、後に毛利氏の本拠地となった広島城と似通っています。
Mihara Castle was first built by Takakage Kobayakawa, the head of a branch family of the Mori Clan which owned Chugoku Region in the late 16th Century during the Sengoku Period. The clan was being invaded by the Oda Clan in Kinki Region, so they thought they needed large castles to prevent invasions and to use as the bases for their navy. Mihara Castle was one of them and was built on the islands on the delta in the estuary of Nutagawa River. The area had been called Mihara Bay, so the castle has been called Mihara Castle. Such a location is similar to Hiroshima Castle which later became the home base of the Mori Clan.

小早川隆景肖像画、米山寺蔵~The portrait of Takakage Kobayakawa, owned by Beisanji Temple (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

城の位置~The location of the castle

海の城~Sea Castle

城の主要部分は、中央にある大きな三角形の島の上にあり、本丸と二の丸がありました。南側の三角形の底辺の部分は海に面しており、北側の三角形の頂点には天守台石垣がありました。しかし、天守は築かれずに、代わりに3基の二階櫓が台の上に築かれました。主要部は水堀と海によって周りの地区から完全に切り離されており、周りとは2つの橋がある門のみとつながっていました。更には、石垣に沿っていくつもの船着き場がありました。この城は、海の城とでもいえるものだったのです。
The main portion of the castle was on the large central triangular island which included the Main Enclosure and the Second Enclosure. The base of the triangle on the south faced the sea, and the top of the triangle on the north had the stone wall base for the Main Tower, but the tower was not built, instead, the three two-story turrets were built on the base. The main portion was completely separated from the area around by water moats and the sea, and just connected with two gates with bridges to surrounding area. In addition, several ports were built beside the stone walls. The castle could be called a sea castle.

備後国之内三原城所絵図~The illustration of Mihara Castle in Bingo Province (出展:国立公文書館)
天守台石垣~The stone wall base for the Main Tower

福島氏、浅野氏が引き継ぐ~Fukushima, Asano Clans follow it

毛利氏の後は、福島正則が江戸時代の17世紀初頭にこの城を支配しました。彼は海に面して10基もの二階櫓を築き、城の防御力を強化しました。ところが、1619年に徳川幕府により改易になってしまいます。浅野氏が城を引き継ぎ江戸時代末まで統治しました。浅野氏は、広島城を本拠地としていて、三原城は支城とみなされていました。幕府は通常は大名に対して2つ以上の城を持つことを禁じていましたが、浅野氏は例外として三原城を維持することができたのでした。
After the Mori Clan, Masanori Fukushima governed the castle at the beginning of the 17th Century during the Edo Period. He built as many as ten two-story turrets facing the sea, which made the castle more defensive. However, he was fired by the Tokugawa Shogunate in 1619. The Aasano Clan took over the castle and governed it until the end of the Edo Period. The Asano Clan lived in Hiroshima Castle as their home base while Mihara Castle was regarded as their branch castle. The shogunate usually didn’t allow the lords to have a second castle, but the Asano Clan was able to have Mihara Castle as an exception.

福島正則肖像画、東京国立博物館蔵~The portrait of Masanori Fukushima, owned by the Tokyo National Museum (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

特徴~Features

まるで駅の城~Just like Station Castle

現在、三原城跡はJR三原駅と電車線に覆われているように見えます。実際、城跡の一部は専用通路により駅とつながっているのです。営業時間内であれば、誰でもこの通路を通ってそこに行くことができます。ここは天守台石垣の上で、城の主要部分ではもっとも北側に当たります。この区域は公園のように整備されていて、北側の方では、天守台を囲む水堀を眺めることができます。また、南側の方では山陽新幹線のホームをすぐ近くの同じ高さで見ることができます。ホームには新幹線の車両が頻繁に通り過ぎたり、止まったりしているのがよくわかります。大変ユニークであり、まるで駅の城とも言えるでしょう。
Now, the ruins of Mihara Castle look like being covered with JR Mihara Station and the JR Railway. In fact, part of the ruins is connected to the station by an exclusive path. Anyone can visit this part of the castle through the path during the opening hours. This is the top of the stone wall base for the Main Tower, which was the northmost part of the main portion of the castle. The area has been developed like a park where you can see a view of the water moat surrounding the base on the north. You can also see the platform for the Sanyo Shinkansen Super Express close by at the same level on the south. You can enjoy seeing the super express trains often passing by or stopping at the platform. It is very unique, and it could be called a station castle.

駅の中から天守台へ~From the inside the station to the base for the Main Tower
天守台への階段~The stairways to the base for the Main Tower
天守台入口~The entrance of the base
天守台の上~The top of the base
天守台から北側の眺め~A view from the base on the north
天守台から南側の眺め~A view from the base on the south
天守台はホームのすぐ近くです~The base is very close to the platform
天守台から見た新幹線車両~A view of the trains for Shinkansen from the base
ホームから見た天守台~A view of the base from the platform

巨大な天守台~Huge base for Main Tower

また、駅の外で堀の周りを歩きながら天守台石垣を見上げることもできます。この天守台は、日本で最も大きなものの一つで、将軍の江戸城のものと同じくらいの大きさです。但し、天守の代わりに3基の二階櫓が立っていました。この天守台のもう一つの珍しい点は、違う時代の石材によりできていることです。西側の石は小早川時代のもので、東側は福島時代のものです。小早川の石は古い方式により積まれており、福島の方は新しい方式のよるとのことです。
You can also walk around the moat looking up at the stone walls for the base outside the station. This base for the Main Tower is one of the largest ones in Japan which has similar size to the Shogun’s Edo Castle. However, there were three two-story turrets on it instead of a Main Tower. Another unique point is that it has stones from different periods. The stones on the western side come from Kobayakawa’s period, and those on the eastern side come from Fukushima’s. Kobayakawa’s stone walls were built using an older method, whereas Fukushima’s method is newer.

駅の外から見た天守台~A view of the base from the outside of the station
小早川時代に作られた部分~The part which was built in Kobayakawa’s period
福島時代に作られた部分~The part which was built in Fukushima’s period

城跡の他の部分~Other parts of Ruins

城周辺の航空写真~The aerial photo around the castle

城跡としては他にはあまり残っていませんが、駅から三原港の方に歩いて行くと、現存している石垣を見ることができます。その上には現代の建物が建っています。ここは、城の主要部分の西端に当たります。石垣の中ほどには、2つの入口の一つであった中門跡があります。石垣の南端部分は、臨海一番櫓跡です。かつてこの櫓は海に面していました。ここから三原港までは海だったわけです。
Other ruins of the castle remain few, but if you walk down from the station to Mihara Port, you can see the remaining stone walls on which modern buildings stand. They were the western border of the main portion of the castle. On the middle of the stone walls, there are the ruins of Naka-mon Gate which was one of the two entrances to the portion. The southmost part of the stone walls are the ruins of Rinkai-Ichiban-Yagura Turret or the First Seaside Turret. The turret faced the sea in the past. The area from the ruins to Mihara Port was once the sea.

中門跡~The ruins of Naka-mon Gate
臨海一番櫓跡~The ruins of the First Seaside Turret
三原港~Mihara Port

主要部分の東側の城跡は、城町公園として残っています。この公園には船入櫓という櫓の跡があります。ここの石垣は岩礁の上に乗っていて、かつては海岸だったことがわかります。
The ruins of the eastern part of the main portion remain as Shiromachi Park. The park has the ruins of another turret called Funairi-Yagura Turret or the Port Turret. Their remaining stone walls are on a shore reef where it was once seaside.

船入櫓跡の石垣~The stone walls of the ruins of the Port Turret (三原市Websiteより引用)

その後~Later History

明治維新後、三原城は廃城となり、全ての建物は売られるか撤去されました。1894年、鉄道の三原駅と山陽本線が作られたとき、天守台石垣のすぐ南の本丸の用地がその建設のために供されたのです。本丸のほとんどの石垣は、他の港の資材として運ばれ、ほとんどの水堀はその工事中に埋められてしまいました。城跡は、1957年に国の史跡に指定されました。1975年、山陽新幹線が作られたとき、高架橋が城跡を壊さないよう、その上を覆って設置されました。
After the Meiji Restoration, Mihara Castle was abandoned, and all of its buildings were sold or demolished. In 1894, when Mihara Railway Station and Sanyo Railway Line were built, the ground for the Main Enclosure, just to the south of the stone wall base, was used for the construction of the train line and the station. Most of the enclosure’s stone walls were carried to another port as materials, and most of the water moats were filled during the construction. The ruins have been designated as a National Historic Site since 1957. In 1975, when the Sanyo Super Express Line was built, the overhead railway was placed across the ruins so as not to harm them. This is what we see there now.

石垣に被さっているような高架線~The overhead railway like covering the stone walls (taken by マンハッタン from photo AC)

私の感想~My Impression

三原城を最初に見た印象は人によってちがうかもしれません。城跡が現代の建物によりほとんど壊されていると思うかもしれませんし、城跡と駅の組み合わせが面白いと思うかもしれません。私は、ここを訪れる前は前者だったのですが、訪れた後は後者に近い印象です。また、一方で行政側に対しては、視覚に訴える掲示やVR技術を使ったりして、もっと三原城はどのような姿をしていたのか知らせるべきと思います。
The first impression of Mihara Castle may be different for each person. One might think the ruins were mostly destroyed by modern buildings, or others might think the combination of the ruins and the station looks interesting. I believed the former before I visited the ruins; my impression is now similar to the latter after visiting them. I also feel that officials should let people know what Mihara Castle looked like using visual image boards as well as VR technology.

天守台石垣~The stone wall base for the Main Tower

ここに行くには~How to get There

三原城跡は、三原駅のすぐ北隣です。
The ruins of Mihara Castle neighbors Mihara Station to the south.

リンク、参考情報~Links and References

三原城跡、三原市(Mihara City Official Website)
・よみがえる日本の城7、学研(Japanese Book)
・「日本の城改訂版第42号」デアゴスティーニジャパン(Japanese Book)

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