160.飯盛城 その3

城跡が国の史跡になろうとしています。

その後

飯盛城は近代には観光地として開発されました。例えば、山頂に楠木正行の銅像や国旗掲揚台が作られたりしました。更には、昭和初期には千畳敷曲輪に遊園地が建設され、それは城跡を破壊したことになったのかもしれません。最近、飯盛城跡を分割して所有している四条畷市と大東市は遺跡の発掘を続けてきました。そして、城跡が国の史跡として指定されることを目指しています。

千畳敷曲輪
現存している本丸の石垣(大東市ウェブサイトから引用)

私の感想

飯盛城を訪れることは、一石二鳥になると思うのです。ハイキングをしながら城跡の見物ができるからです。更には、毎回行くたびに最新の発掘から見つかった発見を目にすることができるかもしれません。

城跡からの眺め

三好長慶に関しては、もし彼がもう少し長く生きていれば、日本の歴史は違っていたかもしれません。織田信長は簡単には上洛することができず、彼の天下統一は不可能だったかもしれません。信長は強いだけではなく、相当に幸運でもあったのです。

三好長慶肖像画部分、大徳寺聚光院蔵  (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここに行くには

歩いて城跡に行くには、JR学園都市線の四条畷駅または野崎駅から約1時間半かかります。
東京からこれらの駅に行くには:東海道新幹線に乗って、新大阪駅で大阪東線に乗り換え、放出駅で学園都市線に乗り換えてください。

リンク・参考情報

飯盛城跡、四条畷市ホームページ
三好長慶と飯盛城、大東市ホームページ
・「戦国の山城を極める 厳選22城/加藤理文 中井均著」学研プラス
・「歴史群像166号、戦国の城 河内飯盛城」学研

これで終わります。
「飯盛城その1」に戻ります。
「飯盛城その2」に戻ります。

160.Imori Castle Part2

This castle was covered with stone walls.

Features

Trail from Shijonawate Shrine

Now, the trails at the ruins of Imori Castle have become very popular for hiking. There are several trails to choose from when you visit the ruins. I will describe one of the trails from JR Shijonawate Station via Shijonawate Shrine. The shrine is dedicated to Masatsura Kusunoki, a warrior in the 14th Century during Northern and Southern dynasties. He was the son of Masasige Kusunoki. He supported the Southern dynasty and was beaten in the battle of Shijonawate in 1348 by the troop of the Ashikaga Shogunate. Ashikaga Shogunate supported the Northern dynasty which used their position at Imori-yama Mountain to defeat Masatsura.

The aerial photo around the castle

The approach to Shijonawate Shrine
Shijonawate Shrine

Northern Enclosures and Great Wide View

The trail behind the shrine is very long and steep. You need to climb nearly 300m up the mountain. All the trails are on the western side of the mountain, so you won’t see any of the stone walls until you get to the top of the mountain. At the top of the slope, you will reach the northern part of the castle. This part is narrow, and there are several small enclosures. You will suddenly see a great city-wide view of Kyoto and Osaka. You can also see some of the remaining stone walls on the eastern side of the mountain. However, you can’t go below the stone walls because the trails on that side are abandoned and dangerous. There is also the burial mound for Nagayoshi Miyoshi called Gotaizuka around there.

The trail to the top
A view from the northern enclosures
The remaining stone walls of the northern enclosures

Southern Enclosures – Main and Senjojiki Enclosures

As you go on the trail to the south, it is divided into two branches at the entrance of the southern part. The one on the right is for the Main Enclosure on the top of the mountain. There are several attractions for hikers on the top such as the observation platform, the statue of Masatsura, the ruins of the stand for hoisting the national flag before World War II, and the signpost of the castle. You can also see a great view again of Osaka Plain on the west. If you go on the other branch on the left, you can see a lot of stone walls on the eastern side of the Main Enclosure. New discoveries about the stone walls were recently found one after another.

The branch point of the trail
The statue of Masatsura Kusunoki (licensed by ブレイズマン via Wikimedia Commons)
The ruins of the stand for hoisting the national flag
A view of Osaka Plain from the Main Enclosure
The remaining stone walls at the eastern side of the Main Enclosure (quoted from the Daito City Website)

On the south of the Main Enclosure, there is the largest enclosure in the castle, called Senjojiki, which means a hall of 1,000 mats. It is thought that it had the Main Hall for Nagayoshi, and now has a transmitting tower. The enclosure was guarded by the narrow earthen bridge on the north and the entrance with stone walls on the south. You can see both of these ruins onsite.

The Senjojiki Enclosure with the transmitting tower
The earthen bridge in the north of the enclosure
The ruins of the entrance in the south of the enclosure

To be continued in “Imori Castle Part3”
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160.飯盛城 その2

過去には石垣によって覆われていました。

特徴

四条畷神社からの山道

現在、飯盛城跡を通る山道はとても人気のあるハイキングコースとなっています。城跡を訪れる場合、いくつかあるコースから選ぶことができます。今回はJR四条畷駅から四条畷神社を経由するコースをご紹介します。四条畷神社は、14世紀の南北朝時代の武将、楠木正行を祀っています。彼は楠木正成の息子で、南朝方に属していましたが、1348年の四条畷の戦いで足利幕府軍に倒されてしまいました。足利幕府は北朝方で、飯盛山に陣地を構え、正行を破ったのです。

城周辺の航空写真

四条畷神社への参道
四条畷神社

北部の曲輪群と広大な景色

神社の裏手から伸びる山道は長くて急です。山を300m近く登っていく必要があります。山道は全て山の西側にあるため、頂上に着くまでは石垣を見ることはできません。坂を登り切ると、城の北側部分に到着します。この部分は狭く、小さな曲輪がいくつか見られます。突然、京都から大坂まで含む広大な街の景色が目に飛び込んできます。山の東側では現存している石垣も見ることができます。しかし、石垣より下の方に行くことはできません。山の東側の道は放棄されているままで危険だからです。この周辺には御体塚と呼ばれる三好長慶の墳墓もあります。

山頂へ伸びる山道
北部の曲輪群からの景色
北部の曲輪群に残る石垣

南部の曲輪群~本丸と千畳敷

山道を南の方に進むと、城の南側部分の入口で道は二つに分かれます。右側に行くと山の頂上にある本丸に着きます。いくつか登山客のための見所があります。展望台、正行の銅像、第二次世界大戦以前に使われた国旗掲揚台跡、城の標柱などです。ここでも西方に大阪平野の素晴らしい景色を楽しめます。先ほどの分かれ道を左の方に行った場合には、本丸の東側にある多くの石垣を見ることができます。最近、石垣に関する新しい発見が次から次へと報告されています。

山道の分岐点
楠木正行の銅像 (licensed by ブレイズマン via Wikimedia Commons)
国旗掲揚台跡
本丸からの大阪平野の眺め
本丸東側に残る石垣(大東市ウェブサイトから引用)

本丸の南側には、城で一番大きな曲輪があり、千畳敷と呼ばれています。ここには長慶の御殿があったと考えられていて、現在は放送塔の設備があります。この曲輪の北側は細い土橋により、南側は石垣を伴った虎口により守られていました。両方の遺跡を現場で見ることができます。

放送塔設備がある千畳敷曲輪
曲輪の北側にある土橋
曲輪の南側にある虎口跡

「飯盛城その3」に続きます。
「飯盛城その1」に戻ります。