133.鮫ヶ尾城 その3

城や城跡巡りの楽しみ方

特徴、見どころ

本丸と米蔵跡

2つのルートの合流地点の上の方、山の頂上に本丸があります。頂上には休憩所があり、そこで休んだり、過去には上杉氏の中心的領地だった頚城平野の景色を楽しむことができます。

本丸周辺の地図

合流地点から本丸を見上げています
本丸
本丸にある休憩所
頚城平野の眺め

本丸下の堀切を越えたところには、米蔵跡と呼ばれるもう一つの曲輪があります。この曲輪では、大量の焼け焦げた米が見つかっています。三ノ丸のおにぎりと同様の事情と思われます。本丸の周りにある堀切は、連絡通路にも使われたようです。こういった城の仕組みは大変興味深いです。

本丸から見た米蔵跡
本丸と米蔵間の堀切
米蔵跡
米蔵跡から見た本丸
堀切は通路にもなっています

その後

御館の乱の後、鮫ヶ尾城は廃城となりました。米蔵跡の焼け米は、江戸時代から既に知られていました。この城跡の調査は1963年に始まりました。城跡の発掘も2001年から2006年の間に行われました。これらにより、この城跡は廃城となった直後の状態がよく残っていることがわかったのです。その結果、城跡は2008年に国の史跡に指定されました。

本丸に立つ鮫ヶ尾城跡の標柱

私の感想

鮫ヶ尾城跡は、上杉景虎の悲劇の物語によって、最近女性を含む歴史ファンの間で有名になってきています。歴史ファンの中には、もし景虎が御館の乱で勝利したならば、上杉、武田、北条の三大名が結束することで、織田信長や豊臣秀吉といった西日本からの脅威に対抗できたのではないかと考える人もいます。歴史的事実としては乱の後、武田と北条はそれぞれ孤立し、逐次撃破されてしまいました。そして、ただ上杉だけが生き残ったのです。実際の歴史とそれにまつわる空想を巡らすことも城や城跡を訪れる際の楽しみの一つなのではないでしょうか。

武田氏を滅ぼした織田信長の肖像画、狩野宗秀作、長興寺蔵、16世紀後半 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
北条氏を滅ぼした豊臣秀吉の肖像画、加納光信筆、高台寺蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここに行くには

車で行く場合:上信越自動車道の上越ICまたは中郷ICから約15分かかります。公園の手前に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、越後トキめき鉄道の北新井駅から歩いて約30分かかります。
東京から北新井駅まで:北陸新幹線に乗って、上越妙高駅で越後トキめき鉄道に乗り換えてください。

公園手前にある駐車場

リンク、参考情報

斐太歴史の里:鮫ヶ尾城跡、妙高市
・「関東戦国史と御館の乱 ~上杉景虎・敗北の歴史的意味とは? /伊東潤・乃至政彦著」歴史新書y
・「日本の城改訂版第126号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
「鮫ヶ尾城その1」に戻ります。
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128.要害山城 その3

よりよい史跡にするためにやっていただきたいこと

特徴、見どころ

強力な城の後方の防御

お時間があれば、城の背後の側も見ていただきたいです。それは後方の峰はとても狭まっていて、オリジナルの城の通路や遺跡が峰に沿って昔ながらのごとく残っているからです。主郭とその後方にある曲輪は、人工的に作られた堀切によって隔てられていて、後方からの敵の攻撃を防げるようになっていました。その堀切は崩れないように部分的に石垣によって支えられていて、日本の城では稀な事例です。

主郭の後方を区切っている石垣のある堀切

城周辺の地図

その上、2つの土造りの物見台が、堀切で区切られた後方に、峰に沿って並んでいました。物見台台もまた一部が石垣あるいは石積みによって支えられていましたが、これもまた誰が築いたか、または改修したのか分かっていません。

物見台
物見台を支える石垣
通路は物見台の脇を通ってより細くなります

通路は物見台の脇と間を通っていて、見張り台の間を通っている部分は両側が竪堀によってカットされていてとても細くなっています。物見台の上の守備兵は、敵が攻めてきても容易に捕捉し、反撃できたことでしょう。

物見台の間の通路
細くなっている通路から物見台を見上げます
物見台から通路を見下ろしています

その後

江戸時代には、武田不動尊の石像が2番目と3番目の門跡の間にある曲輪の場所に作られました。それ以来、その曲輪は不動曲輪と呼ばれるようになりました。明治維新後、城があった場所はますます荒廃していきました。そこで地元の人たちは、城跡を保存するため、1929年に「武田信玄公誕生之地」の石碑を建てました。石碑の題字は、旧日本海軍の有名な提督、東郷平八郎が揮毫しました。城跡は1991年以来、国の史跡に指定されています。

武田不動尊
本丸に立つ「武田信玄公誕生之地」の石碑

私の感想

要害山城を訪れる時には、武田氏館と両方同時にご覧になることをお勧めします。両方見ることによって武田氏がどのようにその本拠地を守ろうとしていたのか理解できるからです。この2つの城はセットで1つの城のように機能していたのです。ただ、1つだけ甲府市にお願いしたいです。武田氏館においては、ここ最近発掘や研究が頻繁に行われています。ところが、要害山城に限っては同じように発掘や研究が進んでいるようには思えません。現地においても、歴史ファン向けにもっと説明板などが必要ではないでしょうか。また、遺跡一部はかなり草木に埋もれたりしてわかりにくくなっています。武田氏館とセットであるものとして、将来この山城についても整備を進めていただきたいです。

武田氏館跡
武田氏館の西曲輪北桝形虎口
武田氏館跡では発掘作業が進んでいます
要害山城の竪堀跡の状況

ここに行くには

この城跡を訪れるには車を使われることをお勧めします。バスの本数がとても少ないからです。
中央自動車道の甲府南ICから約20分のところです。城跡への入口の手前に駐車スペースがあります。
公共交通機関を使う場合は、JR甲府駅から積翠寺行きの山梨交通バスに乗って終点で降りてください。バス停から歩いて約15分で城跡入口に着きます。
東京から甲府駅まで:新宿駅から特急あずさ号か、かいじ号に乗ってください。

城跡入口前の駐車スペース

リンク、参考情報

要害山、甲府市
・「武田信玄 伝説的英雄からの脱却/笹本正治著」中公新書

これで終わります。ありがとうございました。
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152.津城 その3

市街地でも城跡の一部を見ることができます。

特徴、見どころ

公園の北側

こちら側が、城がどのような姿をしていたのか最もよくわかる場所です。高石垣と内堀がよく残っているからです。しかし、内堀はもとは現状の倍以上の幅がありました。

城周辺の航空写真

公園の北側の石垣
内堀もよく残っています
この道路もかつては内堀の一部だったようです

過去には2基の三階櫓(丑寅(うしとら)櫓と戌亥(いぬい)櫓)が石垣の両端に建てられていました。加えて、長屋のような多聞櫓が両櫓をつないでいました。これら石垣の上に櫓が備わった姿は、敵にとっては脅威に映ったことでしょう。

丑寅櫓(手前)と戌亥櫓(奥)の古写真、現地説明板より
かつて多聞櫓があった石垣
丑寅櫓の櫓台石垣
戌亥櫓の櫓台石垣

本丸の内側からは、石垣の上まで登って行くこともできます。もともと櫓が建てられていた場所なので、歩いたり休んだりするのに十分なスペースがあります。石垣や堀を見下ろしてみると、その規模の大きさを実感できます。

東側石垣の上
戌亥櫓跡から見た内堀
石垣と内堀を見下ろしています

その後

明治維新後、津城は廃城となりました。堀は次第に埋められていき、それに従って城の建物も撤去されていきました。津市は、明治の初期に三重県の県庁所在地になったために、以前城だった平地はオフィスビルの需要を満たすための絶好の立地となりました。最終的には津市が一部の城跡を買い上げ、1958年に公園として整備しました。市は現在、現存している石垣の状態をチェックしているところです。経年劣化と木の根による浸食が進んでいることで、石垣が崩壊する可能性があり、それを防ぐためです。史跡としてどのように保護し整備していくのかこれから検討していくとのことです。

公園内にある藤堂高虎の銅像

私の感想

現在の津市の市街地では、通常城の痕跡を見ることはできません。しかし、以前城だった場所を発掘調査したときには、城に関係するものが発見されています。公園入口から100m以上離れた場所にある銀行の本社ビルの傍らでその一部を見ることができます。それは、内堀の端の部分にあった石垣で、その近くでの発掘で見つかったものが展示されているのです。これを見ることで、かつては内堀の幅が80mから100mもあったのだということが実感できます。こういうことも、城巡りを楽しむ一つのやり方だと思います。

銀行本社前に展示してある発掘された内堀の石垣

ここに行くには

車で行く場合:伊勢自動車道の津ICから約10分かかります。公園の正面入口の手前に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、津新町駅から歩いて約10分かかります。
東京から津新町駅まで:東海道新幹線に乗って、名古屋駅で近鉄名古屋線の特急に乗り換え、津駅で各駅停車に乗り換えてください。

公園入口前の駐車場

リンク、参考情報

県指定史跡 津城跡、津市
・「よみがえる日本の城16」学研
・「築城の名手 藤堂高虎/福井健二著」戒光祥出版
・「日本の城改訂版第5、117号」デアゴスティーニジャパン
・「週刊名城をゆく43/伊賀上野城・津城」小学館
・「三重県指定史跡津城跡保存管理計画」津市教育委員会
・「三重県指定史跡津城跡 石垣測量・変位調査報告概要版」

これで終わります。ありがとうございました。
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