特徴、見どころ
「勝瑞館跡」と「勝瑞城跡」
現在、勝瑞城跡には2つの部分があります(現地では2つをまとめて「勝瑞城館跡」と表示されています)。一つは大きな方で、細川氏や三好氏の館として使われていた部分です。よって、しばしば「勝瑞館跡」とも呼ばれます。この区域は基本的に広場になっていて、多くの遺物が地面の下に埋まっています。発掘現場事務所があり、発掘作業が現在も続けられています。遺物が見つかった場合、調査研究が行われ、元の場所に再び埋められるか、保存のために取り出されます。その後、遺物が見つかった場所に、現代的な方法で展示物が作られます。
城周辺の航空写真発掘と展示が進んでいる勝瑞館跡
例えば、橋がかけられた水堀のレプリカが、元あった水堀と同じ場所に、似たような大きさで作られています。観光客は今、過去においては館の区域がどのように堀によって隔てられていたのか、見てわかるようになっています。更に、館の遺物が見つかった場所(会所であったとされています)には、館のように見える休憩所が作られています。休憩所の近くでは、枯山水の庭園があった場所に、いくらか木が植えられ、石が据えられて、庭園が一部復元されています。また、説明板がたくさんあって、ここには何があって、城にどんなことが起こったのか記載されています。
寺として残っている勝瑞城跡
もう一つの区域は、戦いにおいて、城が最後の局面に陥ったときの詰めの場所として付け加えられた部分です。こちらの方がより城跡らしく見えます。よって、ここ自体が「勝瑞城跡」と呼ばれたりもします。しかし、この部分は、館の部分よりずっと小さく、大きさは約100m四方です(館の部分は200~300m四方です)。これは恐らく、この城の部分が短期間に築かれ、使われたからでしょう。その跡地には現在、江戸時代に創建され、三好氏の墓が集められている見性寺があります。水堀と一部の土塁が跡地を囲んで残っています。発掘によれば、この土塁はもとは堀の底から14mの高さがありました(水面からは2.5mの高さ)。