98.今帰仁城 その2

外郭の石垣を眺めながら、大隅(うーしみ)の石垣に迫っていきましょう。一番有名かもしれないスポットです。やっぱり記念撮影場所にもなっています。ほんとうに城壁、という感じがします。グスク全体で見ても、中心部を守る要の位置に当たります。きっと石垣の上から兵士が見張っていたのでしょう。

Introduction

今日は、沖縄県今帰仁村、今帰仁城跡案内板の前にきています。どーんと目立つグスクのディスプレイがかっこいいです。

今帰仁城跡案内板

ここから車などで登っていけば、駐車場があるところに着きます。

グスク跡への登り口
グスク跡駐車場

そこから先にはビジター向けの施設がいくつもあって、例えば今帰仁村歴史文化センターでは、グスクや郷土の歴史のことを勉強できます。券売所では、チケットだけでなく、パンフレットや御城印が手に入ります。

今帰仁村歴史文化センター
券売所

グスク跡の入口にはグスクの模型があって、気分が出ます。

グスク跡入口
グスクの模型

しかし、入口から少し離れたところで、下からオリジナルの登城道があるという情報を発見しました。これはあくまでオプションですが、下の方に戻って、ご案内をやり直すことにします。

登城道「ハンタ道」の説明パネル

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(今帰仁城 景色と歴史ツアー)

登場道「ハンタ道」をゆく

ここが「ハンタ道(みち)」と呼ばれる登城道への入口付近です。脇を川が流れています。親川(エーガー)という泉で、住民の方からは崇拝の対象にもなってきました。自然の恵みを大切にしているのでしょう。

ハンタ道入口付近
親川

ハンタ道に入ります。山道ですが、石が多いです。石が敷き詰められているようです。石垣もあります。かつては松並木もあったそうです。

ハンタ道入口
脇に石垣が残っています

まるでタイルのようになっているところもあります。明治時代の探検家は「城跡に登る山道は、鏡石のような青色の大理石で、滑りやすい」と述べています。その面影が今でも残っています。

タイルのようになっている道

だいぶ登ったところに別の案内があります。「ミームングスク」今帰仁城の出城のようなグスクです。石積みが残っていますが、慎重に登りましょう。海が見えます。そして目を転じると、今帰仁城の曲輪(志慶真門郭)も見えるのです。

ミームングスクの案内
ミームングスク
ミームングスクからの眺め(海の方向)
ミームングスクからの眺め(今帰仁城方向)

もうすぐ今帰仁城に再到着です。その周辺には、祈りの場所がいくつもあるのです。沖縄のグスクの特徴です。ハンタ道は、その参道としても使われたそうです。グスク跡の入口に戻ってきました。

供のかねノロ殿内火の神の祠
今帰仁阿応理屋恵火之神の祠
今帰仁城跡入口付近、左にいくとハンタ道

すばらしい石垣

それでは、外郭の石垣を眺めながら、大隅(うーしみ)の石垣に迫っていきましょう。一番有名かもしれないスポットです。やっぱり記念撮影場所にもなっています。ほんとうに城壁、という感じがします。グスク全体で見ても、中心部を守る要の位置に当たります。きっと石垣の上から兵士が見張っていたのでしょう。

大隅の石垣

城周辺の航空写真

優雅な石垣をもっとよく眺めましょう。高さ7~8メートルくらいで、古期石灰岩の野面積みとのことです。石垣が波打っているところなど、万里の長城を思い起こしてしまいます。中国の技術が導入されているという意見もありますが、はっきりしないそうです。

大隅の石垣を横から見ています
逆方向の平郎門周辺から

グスクの正門、平郎門から中に入っていくことにしましょう。現在の門は1962年に修復されたものですが、厳重さと威厳を感じてしまいます。天井は一枚岩になっているそうです。古期石灰岩は固いので、築城当時は加工が困難だったという事情もありました。門をくぐった後のまっすぐの通路は戦後に整備されたものです(七五三の階段と呼ばれています)。

平郎門
天井の一枚岩
七五三の階段

大隅の中に入ってみましょう。現在は植樹されていますが、当時は兵士の調練の場だったと考えられています。馬の骨がたくさん発掘されたそうです。石垣も内側から見ると、感じが違います。守る方ですので、登りやすくしているのでしょうか。中は結構ゴツゴツとした地形でう。ここには洞窟への入口があって、城外に抜け出れるそうです(現在は閉鎖)。

大隅の内部
内部から見た石垣

次は、通路に戻りますが、途中からかつての旧道を通ってみます。ちょうど、カーザフを見下ろす場所です。カーザフとは「川の谷間」といった意味だそうです。谷間の崖の岩盤にも石垣が積まれています。

カーザフ

旧道を歩きましょう。発掘によって確認された道で、少し登りにくいですが、防御を重視するグスクらしいとも言えます。さっきハンタ道を歩いたので平気です。そして、城の中心部の一つ、大庭(うーみやー)に到着します。

旧道

すばらしい景色

大庭の中は、今は主に歌碑があるだけですが、かつては北殿・南殿があって、首里城でいえば御庭(うなー)のような場所と考えられます。儀式などが行われたのでしょう。

大庭
志慶真乙樽の歌碑と北殿跡

次は景色がいい場所に行きましょう。グスク内で最も標高が高く、御嶽(うたき)がある重要な場所、御内原(うーちばる)です。入口には御嶽の一つ、ソイツギがあります。

ソイツギ

御内原は、かつては女官部屋があった場所だったと言われます。大奥のような場所だったのでしょうか。

御内原

そこからは、すばらしい景色です。大隅の石垣に、青い海に青い空・・・沖縄らしい景色です。

御内原からの眺め

反対側に行ってみましょう。すごく深い谷になっています。谷底を志慶真(しげま)川が流れています。さらに進むと奥の曲輪(志慶真門郭、しじまじょうかく)も見えます。

反対側は深い谷になっています
背後を守る志慶真門郭(しじまじょうかく)

これから主郭に向かいますが、途中にまた重要な御嶽があります。グスク内で最も神聖な聖地、テンチジアマチジです。実は、ここは尚巴志軍との戦いのときに、北山王・攀安知(はんあんち)が切り刻んだ霊石があったところと言われているのです。それから宝剣を向こうの川に投げ込んだという訳です。

テンチジアマチジ(城内上の御嶽)
川に投げ込んだとされる宝剣「千代金丸(複製)」、今帰仁村歴史文化センターにて展示

いよいよ、主郭です。発掘調査により、時代区分ごとの遺構が見つかっています。

主郭

まず、初期の時代に版築や石積みにより土台を固めた跡(第1期)があります。

版築の層を説明したパネル

そして北山王国が発展したときの正殿跡です(第2期)。発掘で基壇が発見されましたが、柱を支える礎石は失われていました。それでもひとかたならぬ建物があったと感じます。

第2期正殿の基壇

北山監守時代の遺構がその先にあります(第4期)。北山王国全盛期の正殿跡(第3期)は、その下に埋もれているようです。正殿の後に建てるくらいですから、監守が住んでいたのでしょう。

監守時代の建物礎石

現在あるのは、グスクが廃城になったあとに建てられた火神(ひのかん)の祠です。現在の祠は20世紀の建築で、発掘調査時に元の位置(中心部)から現在地に移されました

火神の祠

グスクの裏手も圧巻

一番奥の曲輪、志慶真門郭(しじまじょうかく)に向かいます。主郭の奥の門から出て、階段を下っていきます。ずいぶんと高低差があります。下っていくときの景色も見ものです。今度は草木の緑も加わったすばらしい眺めです。

主郭から見た志慶真門郭
ここから出ます
主郭から階段を下ります
下る途中の眺め

建物の跡が見えます。発掘調査により、4つの掘立柱建物の跡が見つかり、家臣の住居だったと考えられています。石垣もよく残っています。その上を兵士が行き来していた感じがわかります。この曲輪は、グスクの全盛期に築かれたと考えられています。グスクの裏手を守る重要な曲輪だったのです。主郭の石垣がそびえ立っているのもグッドポイントです。

曲輪内の建物跡と石垣
そびえ立つ主郭の石垣

振り返ると、グスクの裏門・志慶真門(しじまじょう)跡があります。この門は南側を向いていますので、定説の方ではありませんが、尚巴志軍が放火するためにグスクの南西側から忍び寄った場所かもしれません(定説では本部平原が裏切って敵をここから引き入れたとか)。

志慶真門跡

それでは主郭の方に戻りましょう。今度は迫りくる主郭の石垣が目立ちます。行き帰りで違った見方で景色を楽しむことができます。

帰りはちがった景色を楽しめます
主郭石垣

お時間があれば、外郭の石垣もご覧になってはいかがでしょう。南側はカーザフの向かい側から始まっています。石が新しいので、復元されたものでしょうか。

外郭南側の石垣

こちらは、北側です。古そうな感じです。ここまで歩いていただければ、総延長1.5kmと言われる石垣の長さを感じられると思います。

外郭石垣(北側)

リンク、参考情報

世界遺産 今帰仁城跡(公式サイト)
今帰仁グスクをガイドと歩く
・「世界遺産今帰仁城跡・今帰仁村文化財ガイドブックvol.1」沖縄県今帰仁村教育委員会
・「沖縄の名城を歩く/上里隆史・山本正昭編」
・「琉球王国の形成/和田久德著」 榕樹書林
・「訳注 中山世鑑/首里王府編著 諸見友重訳注」 榕樹書林
・「訳注 蔡鐸本中山世譜/首里王府編著 原田兎雄訳注」 榕樹書林
・「広報 なきじん」
・「島津氏の琉球侵略-もう一つの慶長の役-/上原兼善著」榕樹書林
・「沖縄県立博物館所蔵「琉球國圖」/深瀬公一郎。渡辺 美季著」琉球大学学術リポジトリ
世界遺産『今帰仁城跡』取材:東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター(Yutubeビデオ)

「今帰仁城 その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

98.今帰仁城~Nakijin Castle

沖縄北部の優美な城跡です
Elegant castle ruins in the northern Okinawa

立地と歴史~Location and History

北山王国の首都~Capital of Hokuzan Kingdom

14、15世紀頃、琉球諸島(現在の沖縄諸島)は貿易により栄えました。その結果、「按司」と呼ばれる多くの有力な豪族が中国や他国と貿易を行い、力をつけていきました。彼らは「グスク」と呼ばれる大規模な要塞を琉球諸島周辺に300以上築きました。やがて「北山」「中山」「南山」のという3つの王国にまとまっていきます。今帰仁城は北山王国の首都でした。
Around the 14th and 15th centuries, the Ryukyu Islands (what is now Okinawa Islands) prospered thanks to trading. As a result, many powerful clans in Ryukyu called “Aji” traded with China and other countries, and had great power. They built over 300 large-scale fortresses called “Gusuku” around the Ryukyu Islands. They eventually gathered three large groups called the Kingdoms of “Hokuzan”, “Chuzan”, and “Nanzan”. Nakijin Castle was the capital of the Hokuzan Kingdom.

城の位置~The location of the castle

発掘の成果によれば、この城は最初は14世紀の初め頃、沖縄本島北部の本部半島にある、100mの高さの丘の上に築かれました。しかし当初は丘の上の平地を柵で囲っただけだったようです。その後、北山王国の勢力が高まるにつれ、城は拡張され、15世紀までに正殿や長大な高石垣が築かれました。中国の古書には、この城や王国から中国への朝貢があったことが記録されています。当時の中国製陶器の破片が遺跡から発掘されています。
According to the excavation, the castle was first built on a 100m high hill in Motobu peninsula of the northern Okinawa Island around the beginning of the 14th century, but it was just plane area on the hill which was surrounded by fences. After that, the castle was developed with the main palace and long, high stone walls being built until the 15th century, while the power of the Hokuzan Kingdom grew. An old Chinese book records the castle and the kingdom bringing a tribute to China. Peaces of Chinese potteries at that time are also unearthed from the ruins now.

現地にある城跡の模型~The miniature model of the castle ruins at the site

2度の落城~Castle fell twice

最盛期にはこの城は、後に琉球王国になる中山王国の首都にある首里城に匹敵する規模となりました。ところが、城はそこから2度落城します。1416年、中山王国の家臣である護佐丸がこの城を攻撃しました。最後の城主、攀安知(はんあんち)は城外で護佐丸と戦いますが、彼の部下である本部平原(もとぶていはら)の裏切りに合い敗れてしまいます。それ以来、城は琉球王国のものとなり、島の北部を治めるために「監守」と呼ばれる行政官が置かれました。
At its peak time, the castle became as large as Shuri Castle, the capital of the Chuzan Kingdom, the later Ryukyu Kingdom. However, the castle fell twice after the peak. In 1416, a retainer of Chuzan Kingdom, Gosamaru attacked the castle. The last lord of the castle, Han-annchi fought with Gosamaru outside the castle, but his retainer, Teihara Motobu betrayed him, and he was lastly beaten. Since then, Ryukyu Kingdom owned and stationed an administrator called “Kanshu” in the castle to govern the northern part of the island.

監守の業績を記した記念碑~The monument for the achievements of Kanshu

1609年、薩摩の武士たちが琉球王国に侵攻したとき、真っ先にこの城を占領し焼き払いました。侵攻後、王国は薩摩の支配下に置かれますが、この城には領主は置かれませんでした。その代わりに沖縄の人々が城を祈りの地として維持したのです。
In 1609, when the Satsuma warriors invaded Ryukyu Kingdom, they first captured and burned the castle. The kingdom was under the control of Satsuma after the invasion, but the castle had no lord. Instead, the people of Okinawa maintained the castle as a spiritual center.

祈りの場所の一つ、城内下之御嶽(うたき)~Jonai Shitano-Utaki, one of the places for praying

特徴~Features

城跡に入る~Entaring the castle ruins

現在、今帰仁城跡は素晴らしい景色と自然の中に位置しています。城跡の近くには便利な施設もあります。グスク交流センターでは、城跡へのチケットを買ったり休憩することができます。また、歴史文化センターでは、城やその周りの地域のことをより深く学ぶことができます。
Now, the ruins of Nakijin Castle are located in wonderful views and nature. There are also useful facilities near the ruins. One of them is the Gusuku Exchange Center where you can buy a ticket to the ruins and rest. The other is the History & Culture Center where you can learn more about the castle and the area surrounding it.

城周辺の航空写真~The aerial photo of around the castl

城跡の入口に歩いていくと、見事な曲線を描いた高石垣が目に入っていきます。この石垣は大隅(ウーシミ)の城壁と呼ばれ、高さが8mあり、この城の中では最も高いものです。城の守備兵は、曲線の頂点部分から敵に対して反撃することができました。城跡ガイドの方は、この石垣は中国の万里の長城に影響されていると説明しています。観光客は、現在石垣の脇にあるアーチ門を通って城跡に入っていきます。この門は1962年に復元されたものです。
When you walk to the entrance of the ruins, you will see finely curved high stone walls. They are called Ushimi Stone Walls and 8m high, the highest ones in this castle. The defenders of the castle could counterattack enemies from the top of the curve. The Guides of the ruins say that the walls were inspired by the Great Wall of China. Visitors will now enter the ruins through the arch gate beside the stone walls which was restored in 1962.

大隅(ウーシミ)の城壁~Ushimi Stone Walls
遺跡入口のアーチ門~The arch gate at the entrance

石の階段が城の中心部に向かって伸びていますが、これは最近になって観光用に作られたものです。旧道が階段の右側に沿って残っています。敵からの攻撃から守るため、狭く、急で、岩がごつごつした道になっています。
The stone steps go straight to the center of the castle, but they were built recently for tourism. The Old Pathway goes along on the right side of the steps. It is a narrow, steep and rocky path for defense against attacks in the past.

石段~The stone steps
旧道~The Old Pathway

城の中心部~Center of Castle

城の中心部は3つの部分に別れています。「大庭(ウーミャ)」は入口に最も近い場所であり、行事の際に使われた広場です。行事のために正殿、北殿、南殿といった建物がありました。次の場所は、「御内原(ウーチバル)」で城で奉仕する女性たちが住んでいました。ここはまた城の中では神聖な場所でした。現在では、ここから北の方角に素晴らしい海の景色が望めます。最後は「本丸」で、恐らくは城主が住んでいた場所です。発掘によっていくつもの建物があったことがわかっています。
The center of the castle has three parts. “Umya” Court is the first part from the entrance, which is was used as the square for ceremonies. There were the Main, North, and South Palaces for the ceremonies. The next part is called “Uchibaru” Ground where the women who served the castle lived. It is also a very religious place for the castle. You can now have a great view of the sea in the northern direction. The last part is the Main Enclosure or “Honmaru” where the lord of the castle probably lived. The excavation found that several buildings had been built.

大庭(ウーミャ)~“Umya” Court
御内原(ウーチバル)~“Uchibaru” Ground
御内原からの眺め~A view from “Uchibaru” Ground
もう一枚~Another view
本丸~The Main Enclosure

背後にある郭~Enclosure in Back

中心部からは、城の背後の部分が見え、そこに行くこともできます。「志慶真門郭(しげまじょうかく)」と呼ばれる場所で、ここもまた、長大な石垣に囲まれています。城主に仕える人たちが住んでいたと考えられています。この郭に降りていくときには、古石灰岩でできた石垣を間近に見ることができます。
You can see and go to the back of the castle from the center. This is called “Shigema-jokaku” Enclosure which is also surrounded by high, long stone walls. It is thought that the closest subjects who served the lord lived at the enclosure. You can also see the walls made of Paleozoic lime stones closely when you go down to the enclosure.

本丸から見た城の背後部分~The back of the castle from the Main Enclosure
志慶真門郭(しげまじょうかく)~“Shigema-jokaku” Enclosure
石垣~The stone walls

その後~Later History

第二次世界大戦で破壊された他の遺跡と異なり、今帰仁城跡は今に残りました。沖縄戦の戦場からは遠かったからです。戦後、城跡は1972年に国の史跡に指定されました。ついには、2000年から琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されています。
The ruins of Nakijin Castle remained though many other ruins were destroyed during World War II, as they were far away from the battlefields of Okinawa. After the war, they were designated as a National Historic Site in 1972. Lastly, they have also been on the World Heritage List as Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu since 2000.

今帰仁城跡の正面~The front side of Nakijin Castle Ruins

私の感想~My Impression

私が初めて今帰仁城の石垣を見たときは、ただ単に石を積んであるだけのように見えました。日本の本土にある石垣は通常土か細かい石の芯の部分を覆って築かれます。その一つの理由は本土は地震が多く発生するので、石垣は強固な中心部分が必要だからでしょう。沖縄にはあまり地震がありませんが、雨が多く降ります。今帰仁城のような沖縄の城の石垣は雨を素通りさせます。後からその違いの理由を学びました。いすれにせよ、素晴らしい石垣を持つこの城跡は、沖縄の自然とよくマッチしています。
When I saw the stone walls of Nakijin Castle for the first time, they looked like the stones are just piled simply. This is because stone walls in the Mainland of Japan are were usually built covering their core of soil or small pieces of stone. One of the reasons for it this is that the Mainland often suffers from earthquakes, so stone walls needs a strong core. On the other hand, Okinawa has few earthquakes, but has a lot of rain. The stone walls of Okinawa’s castles like Nakijin can make rain slip through. I learned the reason for the difference later. Anyway, I think the ruins with elegant stone walls match the nature of Okinawa.

今帰仁城の石垣~The stone walls of Nakijin Castle

ここに行くには~How to get There

ここには車で行かれることをお勧めします。
那覇空港から:
車の場合、那覇空港自動車道に名嘉地ICから入り、西原JCTで沖縄自動車道に合流し、許田ICで降りてください。城跡はそこから30分程かかり、城跡周辺に駐車場があります。
バスの場合は、運天港行きのやんばる急行バスに乗ってください。空港から約2時間半かかりますが、城跡近くの今帰仁城址入口バス停で降りてください。
I recommend you to visit it by car.
From the Naha Airport:
By car, enter Naha Airport Expressway at the Nakachi IC, join Okinawa Expressway at the Nishihara JCT, and get off the expressway at Kyoda IC. The ruins are about 30 minutes away from the IC. There are parking lots around the ruins.
By bus, you can take the Yanbaru Express Bus bound for Unten Port. It takes about 2.5 hours from the airport to the Nakijin-joshi-iriguchi bus stop near the ruins.

リンク、参考情報~Links and References

世界遺産 今帰仁城跡(Officisl Website)
・「列島縦断「幻の名城」を訪ねて/山名美和子著」集英社新書(Japanese Book)
・「琉球王国、東アジアのコーナーストーン/赤嶺守著」講談社(Japanese Book)

error: Content is protected !!