173.新高山城 その2

今日は、新高山城跡を見学ということで、広島県の本郷駅に来ています。新高山城へは車で行く人が多いと思いますが、電車で行く場合は、ここ本郷駅が最寄りです。ちょっと城跡からは離れていますが、途中で情報収集ができたり、沼田川沿いを歩いて、新旧高山城の山を眺めたりできるので、これはこれで、楽しめると思います。もちろん、城跡についたら、山城らしい防御の仕組みや、中腹の寺跡、本丸の石垣跡、そして山頂の素晴らしい景色など、たっぷりご紹介します。井戸跡まで行ってみようと思います

Introduction

今日は、新高山城跡を見学ということで、広島県の本郷駅に来ています。新高山城へは車で行く人が多いと思いますが、電車で行く場合は、ここ本郷駅が最寄りです。ちょっと城跡からは離れていますが(城跡入口まで2km弱)、途中で情報収集ができたり、沼田川沿いを歩いて、新旧高山城の山を眺めたりできるので、これはこれで楽しめると思います。もちろん、城跡についたら、山城らしい防御の仕組みや、中腹の寺跡、本丸の石垣跡、そして山頂の素晴らしい景色など、たっぷりご紹介します。井戸跡まで行ってみようと思います。新高山城一気通貫ツアー、さっそく出発しましょう。

本郷駅前

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

ここに行くには

それでは、本郷駅から城跡に向かいます。交差点のようなところを、ここは左に、

本郷駅からの道路を歩き、ここは左に曲がります

次は右に進んでいくと、右側に施設の建物が見えてきます。ここは本郷生涯学習センターで、パンフレットなど情報収集をすることができます。

道なりですが、ここを右です
本郷生涯学習センター

そこから沼田川の方に向かいますが、歩行者用の橋があるので、そちらを渡ります。

歩行者用の橋が横断歩道の先にあります

橋を渡るところから、視界が開けてきます。橋を過ぎたら、横断歩道を2つ、気を付けて渡っていただくと、沼田川の川沿いの道に出ます。2つの山の城跡が一望できます。

横断歩道を2つ渡ります(手前と右奥)
沼田川沿いの道

道が分岐しますが、どちらでもいいので、川沿いを行きましょう。

道の分岐点

山がぐんぐん迫ってきます。突き当りを左に曲がれば、神社のところで、道は合流します。

突き当りを左に
先ほど分かれた道の合流点、右に行きます

ごつごつした岩山の姿もわかります。城跡の入口に到着しました。その向こう側には駐車場もあります。

新高山城の山
城跡入口(大手道入口)
ビジター用駐車場

特徴、見どころ

山城をひたすら登る

それでは、これから大手道入口に入っていきます。この先に登山道入口もありますが、その手前の道の脇にある神社(荒神社)も、かつて城の曲輪だったかもしれないのです。最初から厳重だったのです。

城周辺の地図

大手道入口から入って右側の丘が神社の敷地になっています
荒神社

案内の通り進んでいくと、大きな案内板の前に出ます。ここが登山道の入口です。新高山城は、標高200メートル近い山に築かれ、曲輪が山全体にあったそうですが、ビジターは整備された中央の登山道を進んでいきます。安全優先で登りましょう。

案内の通り進みます
登山道入口前の案内板

それでは登っていきます。左側の峰の裾を進んでいきますが、ただならぬ気配を感じます。実は左側は「鐘の段」という大きな曲輪の裾部分になっていて、訪問者は常にチェックされていたのではないかと思うのです。

「鐘の段」の裾の道を進みます
曲輪側からの視点
「鐘の段」中心部、別の道からいくことができます

道は、小川を渡って、となりの峰に移っていきます。そして、その峰にも階段状にたくさんの曲輪がありました。今度は右側の方です。石積みの跡も見られます。

小川を渡って隣の峰へ
今度は右側に曲輪群があります
石積み跡か

その曲輪の一つが「番所跡」です。今でもよく整地されているのがわかります。

番所跡入口
番所跡(内部)

更に登っていくと、開けた場所に至ります。中腹にある「匡真寺(きょうしんじ)跡」です。説明パネルには、小早川隆景が、父親の毛利元就没後に建てたとありますが、前回の記事でご説明した通り、元就の生前にこの城に招待したときから、同じか似た名前の寺があったので、そのときには、ここに「御会所」や能舞台があったと考えられます。儀式や祝宴が行われた場所です。そのあと寺を立て直したのかもしれません。寺は廃城時に移転したので、今では池の跡や、瓦の破片などが見られるそうです。背後の石の壁も、なにやら庭園の一部のように思えてきます。

匡真寺跡
現地に残る瓦の破片
石材も少し残っているようにも見えます

山上から本丸へ

道は更に険しくなってきました。本当に登山になってきました。かなり登ったせいか、景色がいいです。もうすぐ中の丸です。立派な石段があります。これが門の入口として残っているそうです。

中の丸手前からの景色
中の丸への石段

中の丸は、弓なりの形をしていて、山上の曲輪群をつないでいました。要の曲輪ということです。つながれる方の名前(本丸、西の丸、東の丸、北の丸など)を見てもよくわかります。本丸の反対の方に、高台になっている場所があって、そこから先には西の丸などがあります。司令塔のような場所だったのでしょう。

中の丸跡
城の縄張り図(現地説明パネル)に中の丸範囲を加筆(赤ライン)
中の丸(高台)から見た西の丸方面、こちら側はビジター向けとしては未整備
中の丸(高台)から見た本丸方面

では、本丸の方に向かいましょう。大石がごろごろして、見るからにすごいです。元は、本丸を取り囲んでいた石垣だったのです。こんな石たちが組み合わさって、壁のようになっていたのでしょう。しかし、これだけ残したのはどうしてなのでしょうか。

本丸石垣跡

いよいよ本丸入口(南西側)です。「(内)枡形」になっています。ただし、正面から入るとちょっと微妙な感じで、そうだと言われないと気が付かないかもしれません。正面右側から見ると、わかりやすいと思います。

本丸入口の枡形跡(正面から)
右側から見た本丸枡形跡

本丸の中は一見なにもないようですが、奥の方に建物跡の礎石があります。確かに石の列があります。ここは本丸なので、当然小早川隆景の御殿があったことが想定されます。しかしこの城には、元就を接待したときの、他の建物の名前も記録に残っているので(「高之間」「茶湯之間」など」どこにあったのだろうと想像すると面白いです。

本丸
本丸御殿跡か
礎石が並んでいます

岩山の頂を楽しむ?

本丸の先にはまだ高い所があります。山頂がある「詰の丸」です。これは、景色が期待できそうです。詰の丸とは、城の最終防衛ラインという意味で、そこに天守が建てられる例もありました。ということは、この城にもそこに天守があったのではと期待してしまいます。実際それはわからないのですが、例の元就接待のときに「高之間」という建物があったという記録があるので、やっぱり一番高いところにあったのでは、と楽しい想像をします。

詰めの丸へ進みます

城っぼくはないけれど、すごくインパクトがある石仏や石碑があります。この山は、城が廃城になった後、修験道の山伏たちの修行の場になったそうです。この石仏たちは、そのときに作られたらしいのです。実は、隆景にも天狗と遭遇したという逸話があって(九州領主時代)、なんだか因縁を感じてしまいます。

詰めの丸にある石仏
とても見ごたえがあります

山頂からの眺めを楽しみましょう。眼下の景色もすばらしいですし、川の向こうに高山城があった山も見えます。海がある三原方面も見渡せるので、周りの状況を把握することもできたでしょう。ここは、下から見たあの岩山の頂上なのだと思うと、城を制覇した気分です。

山頂からの景色
高山城跡も見えます

山頂から道が崖下に向かっているように見えますが、実は、山伏たちの修行の関係で崖に鎖場が設けられたそうです。今でもそこから登っている人もいるとかいないとか。通常のビジターにとっては、とても無理な話ですが・・

崖下に伸びている道?

帰りは、ちょっと寄り道をしていきます。本丸のもう一つの出入口(北側)から下っていきます。ここには門があったと言われていて(大手門か)、外側が枡形になっています。

本丸のもう一つの出入り口

「釣井の段」という井戸があった曲輪に行ってみます。ここでは井戸跡が6つも見られるそうです。一番大きい井戸は直径4.2mとのことです。城は、生活の場でもあったのです。

釣井の段、井戸跡の周りにロープが張られています
井戸跡の一つ
一番大きな井戸跡

中の丸に登って、元来た道に戻ります。本丸に接したところが関門になっていて、堀のようなものもあります。どの方向もしっかり守られていたのでしょう。本丸石垣跡の大石たちのところに戻ってきました。

中の丸から釣井の段を見下ろしています
中の丸が本丸に接するところにある関門
本丸を囲む空堀か
本丸石垣跡に戻ってきました

リンク、参考情報

新高山城跡、三原観光navi(三原観光協会)
・「ミネルヴァ日本評伝選 小早川隆景・秀秋/光成準治著」ミネルヴァ書房
・「小早川隆景のすべて」新人物往来社
・「”大気”な武将 小早川隆景/中西豪著」歴史群像125号記事
・「早春の沼田本郷に小早川氏の夢を訪ねる」備陽史探訪の会 平成15年3月徒歩例会資料

「三原城・新高山城 その1」に戻ります。
「三原城 その2」に続きます。

172.三原城~Mihara Castle

過去は海の城、今は駅の城
Sea castle in the past, Station castle in the present

立地と歴史~Location and History

毛利氏の海軍基地~Navy Base for Mori Clan

三原城は最初は、戦国時代の16世紀後半に中国地方を支配していた毛利氏の支族、小早川隆景が築きました。毛利氏は近畿地方の織田氏から侵略されていて、それを防ぐための大きな城で、海軍の基地としても使えるものを必要としていたのです。三原城はそのうちの一つで、沼田川の河口にあったデルタ地帯の島の上に築かれました。この地域は三原浦と呼ばれており、そのためその城も三原城と呼ばれました。このような立地は、後に毛利氏の本拠地となった広島城と似通っています。
Mihara Castle was first built by Takakage Kobayakawa, the head of a branch family of the Mori Clan which owned Chugoku Region in the late 16th Century during the Sengoku Period. The clan was being invaded by the Oda Clan in Kinki Region, so they thought they needed large castles to prevent invasions and to use as the bases for their navy. Mihara Castle was one of them and was built on the islands on the delta in the estuary of Nutagawa River. The area had been called Mihara Bay, so the castle has been called Mihara Castle. Such a location is similar to Hiroshima Castle which later became the home base of the Mori Clan.

小早川隆景肖像画、米山寺蔵~The portrait of Takakage Kobayakawa, owned by Beisanji Temple (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

城の位置~The location of the castle

海の城~Sea Castle

城の主要部分は、中央にある大きな三角形の島の上にあり、本丸と二の丸がありました。南側の三角形の底辺の部分は海に面しており、北側の三角形の頂点には天守台石垣がありました。しかし、天守は築かれずに、代わりに3基の二階櫓が台の上に築かれました。主要部は水堀と海によって周りの地区から完全に切り離されており、周りとは2つの橋がある門のみとつながっていました。更には、石垣に沿っていくつもの船着き場がありました。この城は、海の城とでもいえるものだったのです。
The main portion of the castle was on the large central triangular island which included the Main Enclosure and the Second Enclosure. The base of the triangle on the south faced the sea, and the top of the triangle on the north had the stone wall base for the Main Tower, but the tower was not built, instead, the three two-story turrets were built on the base. The main portion was completely separated from the area around by water moats and the sea, and just connected with two gates with bridges to surrounding area. In addition, several ports were built beside the stone walls. The castle could be called a sea castle.

備後国之内三原城所絵図~The illustration of Mihara Castle in Bingo Province (出展:国立公文書館)
天守台石垣~The stone wall base for the Main Tower

福島氏、浅野氏が引き継ぐ~Fukushima, Asano Clans follow it

毛利氏の後は、福島正則が江戸時代の17世紀初頭にこの城を支配しました。彼は海に面して10基もの二階櫓を築き、城の防御力を強化しました。ところが、1619年に徳川幕府により改易になってしまいます。浅野氏が城を引き継ぎ江戸時代末まで統治しました。浅野氏は、広島城を本拠地としていて、三原城は支城とみなされていました。幕府は通常は大名に対して2つ以上の城を持つことを禁じていましたが、浅野氏は例外として三原城を維持することができたのでした。
After the Mori Clan, Masanori Fukushima governed the castle at the beginning of the 17th Century during the Edo Period. He built as many as ten two-story turrets facing the sea, which made the castle more defensive. However, he was fired by the Tokugawa Shogunate in 1619. The Aasano Clan took over the castle and governed it until the end of the Edo Period. The Asano Clan lived in Hiroshima Castle as their home base while Mihara Castle was regarded as their branch castle. The shogunate usually didn’t allow the lords to have a second castle, but the Asano Clan was able to have Mihara Castle as an exception.

福島正則肖像画、東京国立博物館蔵~The portrait of Masanori Fukushima, owned by the Tokyo National Museum (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

特徴~Features

まるで駅の城~Just like Station Castle

現在、三原城跡はJR三原駅と電車線に覆われているように見えます。実際、城跡の一部は専用通路により駅とつながっているのです。営業時間内であれば、誰でもこの通路を通ってそこに行くことができます。ここは天守台石垣の上で、城の主要部分ではもっとも北側に当たります。この区域は公園のように整備されていて、北側の方では、天守台を囲む水堀を眺めることができます。また、南側の方では山陽新幹線のホームをすぐ近くの同じ高さで見ることができます。ホームには新幹線の車両が頻繁に通り過ぎたり、止まったりしているのがよくわかります。大変ユニークであり、まるで駅の城とも言えるでしょう。
Now, the ruins of Mihara Castle look like being covered with JR Mihara Station and the JR Railway. In fact, part of the ruins is connected to the station by an exclusive path. Anyone can visit this part of the castle through the path during the opening hours. This is the top of the stone wall base for the Main Tower, which was the northmost part of the main portion of the castle. The area has been developed like a park where you can see a view of the water moat surrounding the base on the north. You can also see the platform for the Sanyo Shinkansen Super Express close by at the same level on the south. You can enjoy seeing the super express trains often passing by or stopping at the platform. It is very unique, and it could be called a station castle.

駅の中から天守台へ~From the inside the station to the base for the Main Tower
天守台への階段~The stairways to the base for the Main Tower
天守台入口~The entrance of the base
天守台の上~The top of the base
天守台から北側の眺め~A view from the base on the north
天守台から南側の眺め~A view from the base on the south
天守台はホームのすぐ近くです~The base is very close to the platform
天守台から見た新幹線車両~A view of the trains for Shinkansen from the base
ホームから見た天守台~A view of the base from the platform

巨大な天守台~Huge base for Main Tower

また、駅の外で堀の周りを歩きながら天守台石垣を見上げることもできます。この天守台は、日本で最も大きなものの一つで、将軍の江戸城のものと同じくらいの大きさです。但し、天守の代わりに3基の二階櫓が立っていました。この天守台のもう一つの珍しい点は、違う時代の石材によりできていることです。西側の石は小早川時代のもので、東側は福島時代のものです。小早川の石は古い方式により積まれており、福島の方は新しい方式のよるとのことです。
You can also walk around the moat looking up at the stone walls for the base outside the station. This base for the Main Tower is one of the largest ones in Japan which has similar size to the Shogun’s Edo Castle. However, there were three two-story turrets on it instead of a Main Tower. Another unique point is that it has stones from different periods. The stones on the western side come from Kobayakawa’s period, and those on the eastern side come from Fukushima’s. Kobayakawa’s stone walls were built using an older method, whereas Fukushima’s method is newer.

駅の外から見た天守台~A view of the base from the outside of the station
小早川時代に作られた部分~The part which was built in Kobayakawa’s period
福島時代に作られた部分~The part which was built in Fukushima’s period

城跡の他の部分~Other parts of Ruins

城周辺の航空写真~The aerial photo around the castle

城跡としては他にはあまり残っていませんが、駅から三原港の方に歩いて行くと、現存している石垣を見ることができます。その上には現代の建物が建っています。ここは、城の主要部分の西端に当たります。石垣の中ほどには、2つの入口の一つであった中門跡があります。石垣の南端部分は、臨海一番櫓跡です。かつてこの櫓は海に面していました。ここから三原港までは海だったわけです。
Other ruins of the castle remain few, but if you walk down from the station to Mihara Port, you can see the remaining stone walls on which modern buildings stand. They were the western border of the main portion of the castle. On the middle of the stone walls, there are the ruins of Naka-mon Gate which was one of the two entrances to the portion. The southmost part of the stone walls are the ruins of Rinkai-Ichiban-Yagura Turret or the First Seaside Turret. The turret faced the sea in the past. The area from the ruins to Mihara Port was once the sea.

中門跡~The ruins of Naka-mon Gate
臨海一番櫓跡~The ruins of the First Seaside Turret
三原港~Mihara Port

主要部分の東側の城跡は、城町公園として残っています。この公園には船入櫓という櫓の跡があります。ここの石垣は岩礁の上に乗っていて、かつては海岸だったことがわかります。
The ruins of the eastern part of the main portion remain as Shiromachi Park. The park has the ruins of another turret called Funairi-Yagura Turret or the Port Turret. Their remaining stone walls are on a shore reef where it was once seaside.

船入櫓跡の石垣~The stone walls of the ruins of the Port Turret (三原市Websiteより引用)

その後~Later History

明治維新後、三原城は廃城となり、全ての建物は売られるか撤去されました。1894年、鉄道の三原駅と山陽本線が作られたとき、天守台石垣のすぐ南の本丸の用地がその建設のために供されたのです。本丸のほとんどの石垣は、他の港の資材として運ばれ、ほとんどの水堀はその工事中に埋められてしまいました。城跡は、1957年に国の史跡に指定されました。1975年、山陽新幹線が作られたとき、高架橋が城跡を壊さないよう、その上を覆って設置されました。
After the Meiji Restoration, Mihara Castle was abandoned, and all of its buildings were sold or demolished. In 1894, when Mihara Railway Station and Sanyo Railway Line were built, the ground for the Main Enclosure, just to the south of the stone wall base, was used for the construction of the train line and the station. Most of the enclosure’s stone walls were carried to another port as materials, and most of the water moats were filled during the construction. The ruins have been designated as a National Historic Site since 1957. In 1975, when the Sanyo Super Express Line was built, the overhead railway was placed across the ruins so as not to harm them. This is what we see there now.

石垣に被さっているような高架線~The overhead railway like covering the stone walls (taken by マンハッタン from photo AC)

私の感想~My Impression

三原城を最初に見た印象は人によってちがうかもしれません。城跡が現代の建物によりほとんど壊されていると思うかもしれませんし、城跡と駅の組み合わせが面白いと思うかもしれません。私は、ここを訪れる前は前者だったのですが、訪れた後は後者に近い印象です。また、一方で行政側に対しては、視覚に訴える掲示やVR技術を使ったりして、もっと三原城はどのような姿をしていたのか知らせるべきと思います。
The first impression of Mihara Castle may be different for each person. One might think the ruins were mostly destroyed by modern buildings, or others might think the combination of the ruins and the station looks interesting. I believed the former before I visited the ruins; my impression is now similar to the latter after visiting them. I also feel that officials should let people know what Mihara Castle looked like using visual image boards as well as VR technology.

天守台石垣~The stone wall base for the Main Tower

ここに行くには~How to get There

三原城跡は、三原駅のすぐ北隣です。
The ruins of Mihara Castle neighbors Mihara Station to the south.

リンク、参考情報~Links and References

三原城跡、三原市(Mihara City Official Website)
・よみがえる日本の城7、学研(Japanese Book)
・「日本の城改訂版第42号」デアゴスティーニジャパン(Japanese Book)

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