135.増山城 その3

砺波市は城跡をとてもよく整備しています。

特徴、見どころ

城の中心部、二ノ丸

そしてついに二ノ丸に到着しますが、ここには城で唯一の石垣がありました。標柱に石垣跡と書いてあるのですが、現在では見て判別するのはちょっと難しい感じです。

二ノ丸石垣跡
二ノ丸入口

この曲輪はこの城では最も大きく、最高地点に位置しています。そして厚みのある土塁に囲まれています。こういった理由から、この曲輪は「二ノ丸」と呼び習わされているにも関わらず、歴史家は度々この曲輪がこの城の主郭であったと推測しています。

二ノ丸周辺の地図(現地案内図より)
二ノ丸を囲む土塁
二ノ丸の内部

曲輪の中にはまた、鐘楼堂と呼ばれる土塁があり、今はミニチュアの鐘が置かれています。櫓のようなものがあったのかもしれません。そこからは、大きな空堀の向こうに安室(あぢち)屋敷と呼ばれる隣の曲輪が見えます。

鐘楼堂
ミニチュアの鐘
空堀越しに見える安室屋敷
空堀を見下ろす

その後

増山城が廃城となった後、加賀藩は江戸時代の間、城跡を所有し杉を植林しました。その杉林は、増山杉として知られるようになりました。現在城跡を所有している砺波市は、1987年に城跡の調査を開始し、1997年から2003年の間に発掘を行いました。その結果、2009年には城跡は国の史跡に指定されました。砺波市は、観光客がもっと訪れやすくなるよう、史跡として整備を続けています。

城跡の模型(砺波市埋蔵文化財センターで展示)

私の感想

増山城跡は、観光客が山城のことをより学ぶのにとてもよい教材だと思うのです。もし、山城の跡が放置されてしまった場合、そこは自然に戻っていきます。木々や藪が深く生い茂り、城の基礎部分は崩れていきます。その場合、観光客はその山城がどのような姿をしていたかわからなくなり、あるいは危険な場所になってしまいます。しかし、増山城の場合は、砺波市が城跡を整備し、観光客が情報を得やすいようになっています。例えば、道筋の藪は常に伐採されています。簡単な木柵や説明板がそれぞれの曲輪に設置されています。そのため、観光客は城の縄張がどうだったのか、守備兵がどのように城を守ったのか理解することができます。この城跡をお勧めする次第です。

整備されたウラナギ口
F郭に設置された木柵
F郭の説明板
馬之背ゴから見下ろしたF郭

ここに行くには

ここに行くには車を使うのをお勧めします。
北陸自動車道の砺波ICから約20分かかります。
案内所(増山陣屋)に駐車できます。
公共交通機関を使う場合は、砺波駅からタクシーを使って行くことができます。
東京から砺波駅まで:北陸新幹線に乗り、新高岡駅で城端線に乗り換えてください。

リンク、参考情報

国指定史跡 増山城跡のご案内、砺波市
・「日本の城改訂版第77」号」デアゴスティーニジャパン
・「増山城跡調査中間報告書」砺波郷土資料館他

これで終わります。ありがとうございました。
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33.Takaoka Castle Part3

Why the ruins are so great even though they only existed for a short time?

Later History

After Takaoka Castle was officially abandoned, Takaoka City prospered with trading. The Kaga Domain banned people entering the ruins of Takaoka Castle to preserve it. However, after the Meiji Restoration, the ruins were sold to private section. They were turned into residential or office area. . On the other hand, many people were worried about it and started to make the ruins a park at the same time. They established Takaoka Castle Ruins Park in 1875, developed it and completely removed the residences and offices in 1909. Since then, many public facilities were built on the park. There was even a baseball ground in the Main Enclosure once after World War II. Finally, the ruins were designated as a National Historic Site in 2015.

The old photo of the park in the late Meiji Ara, exhibited by the Takaoka City Museum
“The current map of Takaoka Map” between 1948 and 1950, exhibited by the Takaoka City Museum
The monument of the ruins of Takaoka Castle as a National Historic Site

My Impression

When I visited the ruins of Takaoka Castle, I was wondering why the ruins still have so large enclosures and water moats even though the castle only existed for a short time. In the cases of other castles being abandoned at the same time as Takaoka Castle, they were often destroyed or left alone. After visiting, I learned that the foundation and the water moats of the castle may have been built for a long time. I also learned that the Kaga Domain and local people made great efforts to maintain the ruins as well. That’s why the ruins remain very well and a very popular attraction in this area.

The remaining enclosure and water moat in the castle ruins
There is even a waterfall in the castle ruins
A view of Takaoka City from the castle ruins

How to get There

If you want to visit there by car:
It is about 15 minutes away from Takaoka IC on the Noetsu Expressway.
There are some parking lots in the park.
if you go there by train, it’s about 15 minutes walk from Takaoka Station.
To get to Takaoka Station from Tokyo: Take the Hokuriku Shinkansen super express and transfer at Toyama Station to the Ainokaze Toyama Railway.

The location map of the park at the site

That’s all. Thank you.
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33.高岡城 その3

短命に終わった城の跡地が、なぜこんなによく残っているのでしょうか?

その後

高岡城が公式に廃城となった後、高岡は商業で栄えました。加賀藩は、高岡城跡を保護するため、人々の立ち入りを禁止しました。ところが、明治維新後、城跡は民間に売却されてしまいます。そして住宅や会社が建てられました。一方で、その状況を憂慮する人たちは、同時に城跡を公園化する活動を開始します。そして、1875年に高岡城址公園が設立され、拡張されていき、1909年には全ての住宅や会社が立ち退きとなりました。それ以来、多くの公的施設が公園に建設されました。第二次世界大戦後には、一時本丸に野球場さえありました。最終的には、城跡は2015年に国の史跡に指定されました。

明治後期の公園の古写真(高岡市立博物館で展示)
1948~1950年の「高岡公園現況図」(高岡市立博物館で展示)
高岡城跡が国指定史跡になった記念碑

私の感想

高岡城跡を訪れたとき私は、城があったのは短い期間なのに、なぜ城跡に広大な曲輪や水堀がいまだに残っているのか不思議に思いました。高岡城と同じ時期に廃城となった他の城の場合では、大抵は破壊されたり、放置されたりしています。城跡に行った後、城の基礎部分と水堀が実は長い期間かけて作られたかもしれないことを学びました。また、加賀藩や地元の人たちが大変な努力をして城跡を維持してきたことも知りました。そのために城跡が良好な状態で残り、この地域でとて有名な行楽地になっているのです。

城跡に残る曲輪と水堀
この城跡には滝さえあります
城跡から見える高岡市街

ここに行くには

車で行く場合:
能越自動車道の高岡ICから約15分かかります。
公園の中にいくつかの駐車場があります。
電車で行かれる場合は、高岡駅から歩いて約15分かかります。
東京から高岡駅まで:北陸新幹線に乗り、富山駅であいの風とやま鉄道に乗り換えてください。

公園の現地案内図

リンク、参考情報

国指定史跡「高岡城跡」、高岡市立博物館
高岡古城公園、公式ウェブサイト
・「加賀藩二代藩主 前田利長が造った城/杉本宏著」22世紀アート
・「日本の城改訂版第46」号」デアゴスティーニジャパン
・「よみがえる日本の城8」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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