177.引田城 その1

讃岐国東部の「忘れられた城」

立地と歴史

港を守る山にあった城

引田城は、現在の香川県に当たる讃岐国の東部分にあった、標高82mの城山に築かれた城です。播磨灘に面する引田港が傍らにあり、この山が強風が港に吹き込むのを防いでいました。この港は古代より風待ちの船により賑わいました。また、山の方も当時からのろし台として使われてきたと言われています。中世になって、何人かの大名がこの山を引田城として使いました。例えば、1583年には天下人の豊臣秀吉配下の仙石久秀が引田城を活用して長宗我部元親と戦いました。つまるところ、この城は必要の都度、使われてきたのです。その時点では自然の地形を利用した城でした。

城の位置

城周辺の航空写真

仙石久秀肖像画、個人蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

讃岐国の重要な支城の一つ

天下統一が進む中、1587年に秀吉は家臣の生駒親正に讃岐国を与えました。当初、親正は引田城に住んでいましたが、すぐに別の城に移り、最終的には新しい本拠地として高松城を築きます。しかしながら、引田城は高松城の支城の一つとして維持されました。山の上にあった曲輪を取り囲む形で石垣が築かれました。その一部は今でも山に残っています。これらの石垣は特に、訪問者が来る場所や、山麓から地元民が見上げるような場所に築かれたのです。このやり方は、秀吉やその部下たちが新しい領地において人々に権威を見せるためのものでした。これはもともと、織田信長の安土城や、三好長慶の飯盛城で始まったやり方だと言われています。

生駒親正肖像画、弘憲寺蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
高松城
現存する引田城の石垣
安土城跡
飯盛城跡

曲輪の上には、城の建物も築かれましたが、どの建物も残らなかったため詳細は不明です。しかし、その建物は高松城のようではなかったかと言われています。両方の城から、同じ鋳型から作られた屋根瓦が発掘されたからです。生駒氏が所有していた讃岐国にあった3つの城は似通っていたのかもしれないのです。国の中央には高松城、東側には引田城、西側にはもう一つの支城である丸亀城がありました。引田城は17世紀の初めに繁栄を極めました。引田港のとなりには城下町も設けられました。

丸亀城

一国一城令により廃城

ところが、引田城は1615年に徳川幕府から発せられた一国一城令により、廃城となってしまいます。それ以降は高松城のみが存続を許されました。丸亀城も、引田城と同じ時に一時廃城となりました。しかし、丸亀城はその後他の大名たちにより讃岐国が分割されたときに再建されました。結局引田城のみが、天下泰平のもと、使われないままとなり、長い間忘れられることになったのです。

引田城跡

「引田城その2」に続きます。

78.Marugame Castle Part3

I wish the Main Tower could get out of lonesome state.

Features

High stone walls even in Back of Castle

Going back to the Third Enclosure, you can also get out of the back entrance of the enclosure. You may be surprised to see the high stone walls again even at the back side of the castle. In fact, the present back side was the front of the castle until it was changed in 1660. As a result, the castle has been all covered with the stone walls.

The back entrance of the Third Enclosure
The high stone walls at the back side

Finally, you can see the unique stone walls in the castle, with some natural stones that were piled up and are called Nozura-zumi, at the foot of the mountain. They are built in an older method than the others in this castle. Therefore, it is said that they might have originally been built by the Ikoma Clan, the first lord of the castle.

The stone walls piled up with natural stones at the foot of the mountain
The contrast of the different types of stone walls

Later History

After the Meiji Restoration, all the buildings except for the remaining ones such as the Main Tower and the Main Gate were demolished or burned. The Japanese Army used the castle site until World War II. The outside of the Inner Moat was turned into the city area. On the other hand, Marugame City opened a park on the top of the mountain in 1919. The Main Tower and the buildings of the Main Gate were designated as Important Cultural Properties by 1957. Marugame City always struggle to preserve the ruins such as the stone walls because they have been sometimes damaged from harsh weather. The City is also considering to restore some turrets and walls on the top of the mountain after investigation and study.

The stone walls being repaired
The stone walls of the Third Enclosure

My Impression

I was really moved by the great high stone walls when I was standing in front of the castle. Views from the top of the mountain were great, too. However, I honestly felt that the Main Tower was good, but looked somehow lonesome. If some turrets and walls around the tower were restored, the castle could get its original aspect like Akashi Castle. In addition, the city is also known for Sanuki Udon noodles. There are a lot of Udon noodle restaurants around the castle. That will make your trip more comfortable.

The Sanuki-Fuji that can be seen from the Main Enclosure
The Main Tower seen from the Second Enclosure
The Main Tower that may be lonesome
Akashi Castle, its mud walls between the remaining turrets were recently restored

How to get There

If you want to visit there by car:
It is about 20 minutes away from Sakaide IC or Zentsuji IC on the Takamatsu Expressway. There are some parking lots in and around the park.
if you go there by train, it’s about 10 minutes walk from Marugame Station.
To get to Marugame Station from Tokyo or Osaka: Take the Tokaido or Sanyo Shinkansen super express and transfer at Okayama Station to the Seto-Ohashi Line. If you take a limited express train bound for Matsuyama or Kochi, you will directly arrive at Marugame Station. If you take a train called the Marine Liner bound for Takamatsu, you will need to transfer again at Sakaide Station to the Yosan Line.

The Marine Liner (licensed by Sui-setz via Wikimedia Commons)

Links and References

The Prize Project of Marugame Castle’s Yagura and Hanshu Goten Reconstruction Deployment Plan, Marugame City

That’s all. Thank you.
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78.丸亀城 その3

「ひとりぼっちの天守」を解消できないものでしょうか。

特徴、見どころ

裏側にもしっかり高石垣

三の丸に戻ると、裏出口から外に出ていくこともできます。城の裏側の方であっても高石垣があるのを見て、また驚かれるかもしれません。実は、現在の裏側の面は、1660年に変更されるまでは城の正面だったのです。その結果、この城は全て石垣で覆われることとなったのです。

三の丸の裏出口
裏側の高石垣

最後に山裾では、野面積みと呼ばれる自然石が積み上げられた、この城では独特の石垣を見ることができます。この石垣は、この城の他の石垣より古い方式により積まれています。よってもともとは、この城の最初の城主であった生駒氏によって築かれたのではないかと言われています。

山裾で見られる野面積みの石垣
タイプが違う石垣のコントラスト

その後

明治維新後、天守や大手門など現存しているものを除き、全て撤去または火災で失われました。城の跡地は第二次世界大戦まで日本陸軍によって使われます。内堀の外側は市街地となりました。丸亀市は1919年に山上に公園を開設しました。天守と大手門の建物は、1957年に重要文化財に指定されました。丸亀市は常に、石垣などの遺跡を保存するために努力しています。しばしば悪天候による被害を受けているからです。また、調査研究を行ったうえで、山上にあった櫓や塀を復元することも検討しています。

修理中の石垣
三の丸石垣

私の感想

城の前に立ったとき、素晴らしい高石垣に本当に感動しました。山上から見る景色も素晴らしいです。しかし、正直に言わせていただくと、天守は見事なのですが、どこか寂しそうに見えます。もし天守の周りの櫓や塀が復元されたら、明石城のように城のもとの姿がよみがえるのではないでしょうか。余談ですが、この街は、讃岐うどんでも有名です。城の周りにはうどん店がたくさんあります。旅がもっと楽しくなるでしょう。

本丸から見える讃岐富士
二の丸から見た天守
寂しいかもしれない天守
現存櫓の間の土塀が復元された明石城

ここに行くには

車で行く場合:
高松自動車場の坂出ICまたは善通寺ICから約20分かかります。
公園周辺にもいくつか駐車場があります。
電車で行く場合は、丸亀駅から歩いて約10分かかります。
東京または大阪から丸亀駅まで:
東海道新幹線または山陽新幹線に乗り、岡山駅で瀬戸大橋線に乗り換えてください。
もし、松山もしくは高知行きの特急に乗った場合には直接丸亀駅に到着します。
もし、高松行きのマリンライナーに乗った場合には坂出駅でもう一回予讃線に乗り換える必要があります。

マリンライナー  (licensed by Sui-setz via Wikimedia Commons)

リンク、参考情報

丸亀城(日本100名城・現存十二天守)、丸亀市
・「よみがえる日本の城13」学研
・「日本の城改訂版第9、78」号」デアゴスティーニジャパン
・「史跡丸亀城跡保存活用計画」丸亀市

これで終わります。ありがとうございました。
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