37.一乗谷城 その1

朝倉氏と盛衰をともにした城

立地と歴史

城と城下町の統合体

一乗谷城は、越前国(現在の福井県)にあり、戦国時代の期間、朝倉氏が支配していました。通常はこの城は、朝倉氏が築いた要塞都市とされています。この都市は、城の部分と城下町の部分が統合されていたのです。そのため、当時の人たちはこれを単に「一乗谷」と呼んでいました。現代は「一乗谷朝倉氏遺跡」と呼ばれています。

城の位置

朝倉氏はもともと越前国の守護の家柄であった斯波氏に仕えていました。朝倉孝景は、15世紀後半に京都で起きた応仁の乱で足利幕府を支えて活躍しました(当初は山名宗全方の西軍に属していましたが、将軍足利義政と細川勝元方の東軍に寝返りました)。その結果幕府は孝景を、斯波氏の代わりに越前国の守護に任じました。その後、朝倉氏は5世代約100年に渡って越前国を支配しました。朝倉氏は、本拠地として一乗谷と呼ばれた細長い谷を選びました。朝倉氏がこの谷を選んだ理由は、斯波氏や一向宗などの他の支族との戦いが続いていたからと考えられています。

朝倉孝景肖像画、心月寺蔵  (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

城周辺の起伏地図

この谷は、南北約3kmの長さと、約500mの幅がありました。また、谷の東西両側の山の上にある山城群により守られていました。例えば「(狭義の)一乗谷城」は、それらの山城の一つであり、特有の役割がありました(戦いが起こった場合の詰めの城であったとされています)。谷の両端には土塁と水堀を用いた城門があり、上城戸(かみきど)と下城戸(しもきど)と呼ばれました。一乗谷川が流れていた両城戸の間は、城戸の内(きどのうち)と呼ばれていました。城下町はこの狭い地域に沿って建設され、朝倉氏館、武家屋敷、商人や職人の町、寺社の町が含まれていました。

山城としての一乗谷城への入口
上城戸
下城戸
城下町の模型(「復原町並地区」で展示)

戦国時代有数の大都市

一乗谷は大いに繁栄しました。越前国はもともと豊かであった上に、朝倉氏は海運により大きな利益を得ていました。そして、朝倉氏は一族と家臣が団結し、一向宗といった敵からの攻撃を退けることができていました。これらにより、一乗谷の人たちは裕福になったのです。朝倉氏の館は、京都にあった管領の館にとても似通っており、そこには豪華な日本庭園がありました。そして、応仁の乱により荒廃した京都から多くの貴族、高僧、知識人たちを受け入れたのです。武士たちは屋敷の中で将棋を指し、僧たちは茶会を楽しんでいました。交易や生産がこの町の中で、盛んに行われていました。一乗谷の人口は、1万人に達したと言われています。この町は日本で有数の大都市となり、しばしば小京都とも呼ばれました。

朝倉氏館の模型(現地説明板より)
朝倉氏館跡の門

織田信長に滅ぼされる

1567年、後に足利幕府の最後の将軍となる足利義昭が、朝倉氏の最後の当主となった朝倉義景に会いに、一乗谷にやってきました。義昭は義景に対し、ともに上洛して敵を倒すよう要請しました。義景はそれを断り、義昭は一乗谷を去り、尾張国(現在の愛知県の一部)の織田信長のところに行きます。信長は、1568年に義昭とともに上洛し、義昭は将軍となりました。1570年、彼らは義景に対し、上洛して仕えるよう命じました。義景は再び断り、ついに将軍の敵となってしまいました。信長と義景は、三年に渡り戦いました(朝倉討伐、姉川の戦いなど)。その長い戦いの間に朝倉氏と家臣団の結束は崩れていきました。義景は一乗谷から撤退せざるを得なくなり、ついには倒されてしまいます(重臣の朝倉景鏡(かげあきら)に裏切られ自刃しました)。信長軍は、主人のいなくなった一乗谷に襲い掛かりました。この町は三日間にわたり燃え続けます。城は破壊され、その歴史を終えました。1573年のことでした。

足利義昭坐像、等持院霊光殿蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
朝倉義景肖像画、心月寺蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
織田信長肖像画、狩野宗秀作、長興寺蔵、16世紀後半 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

「一乗谷城その2」に続きます。

138.Echizen-Ohno Castle Part3

Will you be able to see the castle in the sky?

Later History

After the Meiji Restoration, all the buildings of Echizen-Ohno Castle were demolished. The mountain of the castle was turned into Kameyama Park. After World War II, some castle buildings including Tenshu were rebuilt.

The rebuilt Main Tower on the stone walls at Kameyama Park

Ohno City, which now owns the castle, promotes it as “Castle in the Sky” like Takeda Castle. The meaning of Castle in the Sky is when clouds spread below the mountain, the castle on the mountain looks like its floating in the sky. If this happens while you are at Echizen-Ohno Castle, you can take a photo of the castle in the sky from Inuyama Mountain where you can see the whole view of the castle. The city also says this situation is most likely to occur in October and November. However, according to the records, the chance to see the castle in the sky happens about 10 days per a year.

The “Castle in the Sky” can be seen at Echizen-Ohno Castle (licensed by Keisuke MAEDA via Wikimedia Commons)
The “Castle in the Sky” can be seen at Takeda Castle (licensed by abok via Wikimedia Commons)

My Impression

I visited Echizen-Ohno Castle to see the castle in the sky on a day in November. The castle was open from early in the morning during the month to make it possible for visitors to see if the castle in the sky situation happens.

The entrance of the Southern Route in the early morning

When I looked up from the top floor of the Tenshu building, the sky around the castle was very clear. Inuyama Mountain, from which you could see the castle in the sky, was rather cloudy. I realized that staying just one night is not enough. Even if the weather conditions for the castle in the sky are ideal, you cannot always see it. You may need to spend several days to see it.

The sky around the castle was very clear
Inuyama Mountain was rather cloudy

If you stay for only one night in the town, you can at least take a beautiful photo of the illuminated Echizen-Ohno Castle.

The illuminated Echizen-Ohno Castle

How to get There

If you want to visit there by car:
It is about 30 minutes away from Fukui IC on Hokuriku Expressway.
There is a parking lot near the entrance of the Southern Route to the castle.
By public transportation, it takes about 40 minutes walking from JR Echizen-Ohno Station.
To get to Echizen-Ohno Station from Tokyo: Take the Hokuriku Shinkansen super express, transfer to the limited express on the Hokuriku Line at Kanazawa Station, and transfer to the Kuzuryu Line at Fukui Station.
From Osaka: Take the Thunderbird limited express and transfer to the Kuzuryu Line at Fukui Station.

Links and References

Echizen Ohno Castle Official Site

That’s all. Thank you.
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138.越前大野城 その3

天空の城を見ることはできるでしょうか。

その後

明治維新後、越前大野城の全ての建物は撤去されました。城があった山は亀山公園となりました。第二次世界大戦後、天守を含む城の建物がいくつか再建されました。

亀山公園にある復興天守と石垣

現在この城を所有している大野市はこの城を、竹田城のように、「天空の城」として宣伝しています。天空の城とは、山の下の方に雲が広がったとき、山の上にある城が雲に浮かんでいるようにみえることを言います。越前大野城に来ているときにその現象が起これば、城全体を見渡すことができる戌山に行けば、そこから天空の城の写真を撮ることができます。大野市の情報では、天空の城は10月と11月に一番よく現れるとのことです。しかし、これまでの実績によると、天空の城を見ることができるのは、1年に約10日間しかありません。

越前大野城で見ることができる「天空の城」  (licensed by Keisuke MAEDA via Wikimedia Commons)
竹田城で見ることができる「天空の城」 (licensed by abok via Wikimedia Commons)

私の感想

私は、11月のある日、天空の城を見るために越前大野城を訪れました。この月は、天空の城の現象が起こっているかどうか確認できるように、城は早朝から開いていました。

早朝の南登り口の入口

天守の建物の最上階から見てみましたが、城周辺の空は晴れ渡っていました。天空の城を観察できるという戌山の方がむしろ雲がかかっていました。一泊だけの滞在ではとても不十分とそのとき思いました。天空の城が現れるための気象条件が揃ったとしても、いつもそれを見れるとは限りません。何日も逗留しないといけないかもしれません。

城の周りは晴れ渡っていました
戌山にかかる雲

但し、もしこの町に一泊だけしかできないとしても、ライトアップされた美しい越前大野城の写真を撮ることはできます。

ライトアップされた越前大野城

ここに行くには

車で行く場合:
北陸自動車道の福井ICから約30分かかります。
城に向かう南登り口の入口近くに駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR越前大野駅から歩いて約40分かかります。
東京から越前大野駅まで:北陸新幹線に乗り、金沢駅で北陸線の特急に乗り換え、福井駅でまた九頭竜線に乗り換えてください。
大阪から:特急サンダーバード号に乗り、福井駅で九頭竜線に乗り換えて下さい。

リンク、参考情報

天空の城 越前大野城
・「歴史群像165号、戦国の城 越前大野城」学研
・「よみがえる日本の城8」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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