98.今帰仁城 その1

今回からまた沖縄シリーズの始まりです。最大級のグスクの一つ、今帰仁城(なきじんじょう)をご紹介します。以前、琉球王国につながる浦添城や、琉球統一を果たした尚巴志のことをご紹介しましたが、今帰仁城は、そのころ並び立っていた北山王国の本拠地だったのです。北山王国は、浦添城の中山王国や、南山王国とともに、貿易によって栄えたのですが、尚巴志によって滅ぼされてしまったために、その歴史ははっきりとはわからないのです。今回は、今帰仁城について、定説とされるもの以外にも、情報を集めましたので、その歴史ストーリーを考えてみたいと思います。

Introduction

今回からまた沖縄シリーズの始まりです。最大級のグスクの一つ、今帰仁城(なきじんじょう)をご紹介します。以前、琉球王国につながる浦添城や、琉球統一を果たした尚巴志のことをご紹介しましたが、今帰仁城は、そのころ並び立っていた北山王国の本拠地だったのです。北山王国は、浦添城の中山王国や、南山王国とともに、貿易によって栄えたのですが、尚巴志によって滅ぼされてしまったために、その歴史ははっきりとはわからないのです。今回は、今帰仁城について、定説とされるもの以外にも、情報を集めましたので、その歴史ストーリーを考えてみたいと思います。

今帰仁城跡

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

立地と歴史

三山時代と北山王国

グスクが築かれる前、沖縄の多くの人たちは、漁労・狩猟・採集を中心とした生活を送っていたと考えられています。沖縄の時代区分では「貝塚時代」と呼ばれています。日本本土では、この地域から輸入した貝製品や、貝を加工した螺鈿細工が重宝されました。

螺鈿細工を使った中尊寺金色堂の柱、東北歴史博物館にて展示

11世紀ころからは、貿易の恩恵が沖縄全体に及んできました。中国との貿易もさかんになり、高価な中国製陶磁器が輸入される一方、沖縄からは夜光貝や硫黄が輸出されました。その結果「按司(あじ」)」と呼ばれるたくさんの有力領主たちが現れ、グスクを築きます。琉球王国が成立するまでの時代は「グスク時代」と呼ばれています。

14世紀になると、沖縄本島では有力な按司のもと、3つの王国が成立しました。今帰仁城を本拠地とした北山王国、浦添城の中山王国、島添大里城の南山王国です。王国の本拠地になった大型グスクの建設も、その動きに沿ったものと考えられます。

グスクの位置

浦添城跡
島添大里城跡

同じ頃、中国では明が建国されました。創立者の洪武帝は、反対勢力や倭寇を取り締まるために「海禁」政策(私的な海外貿易や海外渡航の禁止)を実行しました。また、漢民族が再建した王朝の正当性(以前の「元」は異民族国家)を示すため、日本を含む周りの国々に、宗主国(明)への朝貢を求めたのです(招撫使)。1372年には中山王国に使節が送られました。当時の王、察度は直ちにその弟を進貢使として明に派遣しています。続いて、南山王や北山王も明への朝貢を始めました。この時代はグスク時代の中でも、特に「三山時代」と呼ばれています。

洪武帝肖像画、国立故宮博物院蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここから北山王国と今帰仁城を、外部の記録から追ってみます。中国の史書(「明実録」)によると、北山王は1383年から1415年の間に、19回明と交易を行っています。その間の王は、怕尼芝(はにじ)、珉(みん)、攀安知(はんあんち)の3代です。公的な場では、馬や硫黄などを献上し、冠帯衣服や貨幣などを賜っていました。きっと、他の場所でも色々なものを交易していたのでしょう。ただ、中山王国と比べると、回数はだいぶ劣りますので、それが国力の差になっていったとも考えられます。

「進貢船図」、沖縄県立博物館・美術館蔵(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

次に、琉球国最古の現存地図を見てみます。真ん中には初期の首里城の姿が描かれていて、15世紀中ごろの状況と考えられています。この頃は、北山王国はなくなっているのですが、北(上)の方に、今帰仁城が「伊麻奇時利(いまきじり)城」として載っているのです。もう一つ注目は「雲見泊」として現在の運天港も記載されていることです。運天港は那覇港と並ぶ天然の良港だったのです。

「琉球國図」、沖縄県立博物館・美術館蔵

今までのストーリーは、いかがだったでしょうか。客観的なデータのおかげで、北山王国や今帰仁城の存在と繁栄が理解いただけたと思います。ただ、グスクの名前が今と全然ちがっていて、今でも漢字とその読み方が変わっているのが気になります。「新参者の統治」という意味の「いまきじり」が、「みやきせん」→「いまきじり」→「なきじん」と変化してきたと言われます。しかし他にも、最初から「みやきせん」と呼んでいたのではないかという説や、語源についても、魚が寄り付く場所という意味の「なきずみ」であるという説もあります。名前だけでも奥が深いものです。

今帰仁城の伝説と実態

次は外部からはわからない、王国とグスクの生い立ちを、沖縄内部の情報から探りましょう。地元の言い伝えや琉球王国の史書によると、はるか昔、天帝の子孫・天孫氏が首里城を築いてから、その流れをくむ者が、今帰仁城主になったとされています。これは、神話ということなのでしょう(前北山時代)。

次に出てくるのは、浦添城のときにもご紹介した源為朝で、なんと彼は運天港に上陸したというのです。ここにも為朝伝説があるのです。そして、その子が琉球王に、孫が今帰仁城主になったそうです。13世紀くらいのことになるでしょうか(中北山時代)。そしてその後、一つの王国が3つに分かれたというストーリーです(後北山時代)。

源為朝を描いた江戸時代の浮世絵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

続いて、今帰仁城の発掘成果をご紹介します。これまでに中心部の主郭などが発掘され、グスクには、4つの時代区分があることがわかりました。主郭の様子を時代順にご説明します。まず第1期です(13世紀末~14世紀前期)。時期は、先ほどの伝承では2番目の終わり頃でしょうか。発掘した結果では、その頃にグスクができたことになります。館は掘立柱で、防御のための柵で囲われていて、周りも本格的石垣ではなく、石積や版築による土塁でした。使っていた土器も、地元産が多かったとのことです。

第1期主郭の鳥観図、現地説明パネルより
第1期の出土土器(沖縄産)、現地説明パネルより

次が第2期です(14世紀中期)。時期は、三山時代に入った頃です。大発展した感じです。中にはグスクらしい礎石建ての正殿が建てられ、規模が大きくなって、周りに石垣も築かれました。中国産の陶磁器の使用も増えてきました。

第2期主郭の鳥観図、現地説明パネルより
第2期出土の青磁環耳瓶(中国産、今帰仁村歴史文化センターにて展示

そして最盛期の第3期です(14世紀後半~15世紀前期)。北山王国が明と交易をおこなっていた時期と一致しています。規模も最大になったのですが、なによりも、出土した当時の交易品が、その繁栄を表しています。

第3期主郭の鳥観図、現地説明パネルより
主郭で発掘された中国銭、今帰仁村歴史文化センターにて展示

特にびっくりするが、以下の出土品です。これら6つの中国産青磁碗は、土の中からそのまま出てきたのです。意図的に埋められていたようです。重要な祈りの儀式が行われたのかもしれません。

中国産青磁一括出土品、今帰仁村歴史文化センターにて展示

グスク全体の規模としても、このときまでに並行して拡張され、10の曲輪を持つとされる、沖縄屈指の大型グスクになったと考えられます。

今帰仁城模型、今帰仁村歴史文化センターにて展示

そして、優美な石垣も築かれたのです。本土の城と違って、当時はこの石垣の上を直接、兵士が走り回っていたそうです。塀とか櫓はなかったとのことです。

大隅(うーしみ)の石垣

王国と今帰仁城の生い立ちストーリー、いかがだったでしょうか。為朝伝説にも夢があっておもしろいのですが、発掘の成果などから考えると、やはり小さな按司が、貿易などで成長して、王国を築いたと思えます。現在のところ、この見解が定説になっています。

北山王国の滅亡

いよいよ、クライマックスです。実は北山王国滅亡のストーリーも、尚巴志の琉球統一のプロセスとともに、2つの説があるのです。定説の方からご説明します。こちらのプロセスは、琉球国史書のうち、新しい方の記載をもとにしています(「中山世譜」など)。古い史書の記載を、中国の記録などと照合し、改めているとのことです。こちらは、尚巴志が北山王国(1416年)、南山王国(1429年)の順に攻略しています。

定説での北山王・攀安知(はんあんち)は、武勇に優れていましたが、淫逆無道であったとされます。彼は、重臣の本部平原(もとぶていばら)とともに、中山王国を攻めることを計画します。北山配下の按司たちは、そのことを中山王・思昭に告げたのです。思昭の子・尚巴志が、按司たちと今帰仁城を攻めることになりました。尚巴志軍は優勢でしたが、堅固な城を攻めあぐね、計略を用います。重臣の本部平原を買収したのです。平原は、攀安知を城外で戦うように仕向け、城に火を放ちました。異変に気付いた攀安知は、平原を伝家の宝剣「千代金丸」で成敗しますが、時すでに遅し・・・。悲運を嘆き、グスクを守護する霊石を切りつけ、自害しようとしてもなぜか切れなかったので、宝剣を川に投げ捨て、別の刀で自害しました。これが定説による今帰仁落城のストーリーです。悪人は滅ぶべくして滅ぶ、みたいな筋書です。

グスクの守護岩があったといわれる御嶽・テンチジアマチジ

次は「異説」として、古い史書(「中山世鑑」)による統一プロセスをご紹介します。この説では、北山攻略をもって琉球統一(1422年)としていますが、事実としてその後も南山王国が明と交易をしています(1429年まで)。だから定説では修正されたのですが、この時期の南山は、尚巴志の傀儡だったという意見もあるのです。こちらも捨てたものではないように思います。それに城攻めの内容は、中国の史書とは関係ないのに、全然ニュアンスが違うのです。

異説では、北山王国が存在するうちに琉球統一が進んでいて、配下の按司も中山王国に服属していきました。劣勢となった攀安知は、一族郎党を集め、彼らを鼓舞し、中山と最後の決戦をすべく、城の防備を固めました(下記補足1)。それを周りの按司たちから聞いた尚巴志は、今帰仁城に大軍で攻め寄せます。しかし堅固な城は、いくら攻めてもなかなか落ちません。そこで尚巴志軍は一計を案じます。その地を知る按司が、夜裏側(グスクの南西側)から忍び寄り、グスクに火を放ったのです。それを合図に総攻撃が始まりました。最期を悟った攀安知は、尚巴志軍に突撃、ついには宝剣で切腹し、引き抜いた剣でグスクを守護するイベの岩を切り刻み、剣を川に投げました(下記補足2)。定説と比べると潔い最期と感じます。

(補足1)「今の人々の多くは心変わりして、我が方は小勢となったが、多数を恐れて一戦もせずに降参するのは、如何にも口惜しいことだ。そして、山北国をうち建てた祖先に恥をさらすことにもなる。さあ、中山の軍は攻め寄せて来るがよい。これを一蹴して手柄を見せようではないか。攻め寄せる中山軍がたとえ数万騎あろうと、これを打ち破ることは雑作もないことだ。もし命運尽きて、この戦に敗れることがあれば、そのときは潔く自害して、名を後世に残そうぞ。さあ者共、仕度をせよ。怖気づいて世の笑いものになるな」(山北王(攀安知)のことば、「訳注 中山世鑑」より)

(補足2)「さあ、イベも、そしてイベにおわす神も供に冥土に旅立ちましょう」(山北王(攀安知)のことば、「訳注 中山世鑑」より)

城の裏側(南側)を守っていた志慶真門(しじまじょう)跡

その剣はその後、中山王に献上され、現在国宝になっています。2つのストーリー、いかがだったでしょうか。もちろん定説の重みは感じますが、どちらも沖縄の伝承がもとであれば、古い方が事実を伝えているかもしれないし、異説の方が真に迫っているようにも思えます。皆さんはどうお感じでしょうか。

宝剣「千代金丸(複製)」、今帰仁村歴史文化センターにて展示

その後

北山王国を滅ぼした尚巴志は、次男の尚忠を、北山監守として今帰仁城に置きました。尚忠は、尚巴志が亡くなると、琉球国王を継いだ人物です。今帰仁城は、琉球統一後も、重要な拠点であり続けたのです。この監守制度は、王統が第二尚氏になっても続き、第二監守時代と呼ばれています。一世から十四世まで続き、「山北今帰仁城監守来歴碑記」にその由来が刻まれています。

「山北今帰仁城監守来歴碑記」今帰仁村歴史文化センターにて保管

発掘調査による時代区分だと第4期に当たります。この時代にも監守の住居と思われる建物がありました。面白いのは、この時代のものとして、ベトナム製・タイ製の陶磁器や、本土の備前焼も出土していることです。

第4期主郭の鳥観図、現地説明パネルより
ベトナム製陶磁器
備前焼

ところが、第二監守五世・向克祉(しょうかくし)の時代に大事件が起こるのです。1609年、薩摩藩の島津氏による琉球侵攻があったのです。慶長14年3月7日、約3千名の薩摩軍は、80艘以上の船に乗り出航しました。7日に奄美大島に到着、まず奄美諸島を制圧します。ここは、琉球王国の支配下にありましたが、この侵攻をきっかけに薩摩藩の直轄地になりました。薩摩軍が次に向かったのが、運天港でした。3月25日のことです。そして薩摩軍が滞在した数日間のうちに、今帰仁城や城下が放火されたととれる記録があります(下記補足3)。更にその間に、北山監守の向克祉が謎の最期を遂げるのです。29日、薩摩軍は浦添、那覇方面に向かいました。今帰仁城は廃城になり、北山監守は城下、そして首里に移っていきました。

(補足3)今きじんの城は無人であるらしい。不意に掃討を開始し、方々へ放火などした。(「琉球渡海日々記」、現代語訳は「広報なきじん」より)

現在の運天港
主郭にある火神の祠

グスク跡には火神(ひのかん)の祠が建てられ、祈りの場所になりました。ようやく静かな時を迎えたと言えるでしょう。監守の石碑が建てられたのもこの時代のことです。文化財として注目されるようになったのは、戦後のことでした。1972年には国の史跡に指定され、2000年には世界文化遺産に登録されました。並行して現存する石垣の修復、失われた石垣の復元など、史跡整備も進められました。それで私たちが今、すばらしいグスクを見学できるのです。

「今帰仁城 その2」に続きます。

199.座喜味城~Zakimi Castle

悲劇のヒーロー、護佐丸の城
A tragic hero, Gosamaru’s castle

立地と歴史~Location and History

護佐丸が作った~Gosamaru built it

座喜味城は、琉球諸島(現在の沖縄諸島)周辺に300以上築かれた「グスク」を呼ばれた大規模な要塞の一つです。沖縄本島西海岸の近く、高さ120mの丘の上に築かれました。そのため、この城は非常に戦略的な位置にあり、この島と海を広範囲に見渡すことができます。また、この城は誰がいつ築いたのか明確である数少ないグスクの一つなのです。
Zakimi Castle was one of the over 300 large-scale fortresses called “Gusuku” around the Ryukyu Islands (what is now Okinawa Islands). It was located on a 120m high hill near the western coast of the mid Okinawa Island. That’s why the castle had a very strategic location where wide views of the island and sea can be seen. It is also one of the few Gusuku which people know when and who built it.

城の位置~The location of the castle

「按司」と呼ばれた有力な領主の一人、護佐丸が15世紀初頭に最初にこの城を築きました。それ以前は、彼は別のグスク、山田城に住んでおり、後の琉球王国となる中山王国に仕えていました。1416年、中山王国が北山王国を倒した時、彼は多大な貢献をしました。その後、彼は北山(沖縄本島北部)守護職に任命されました。一方彼は新しい本拠地として座喜味城の築城を始めたのです。
One of the powerful lords called “Aji”, Gosamaru first built the castle in the first 15th century. Before that, he lived in another Gusuku called Yamada Castle, and worked under the Chuzan Kingdom, the later Ryukyu Kingdom. He made a significant contribution when the Chuzan Kingdom beat the Hokuzan Kingdom in 1416. After that, he was appointed as the military governor of the Hokuzan Region (the northern part of Okinawa Island), while he started to build Zakimi Castle as his new home base.

今帰仁城、北山王国の首都~Nakijin Castle, the capital of the Hokuzan Kingdom

護佐丸名を揚げる~Gosamaru made his mark

この城の下にある丘は、岩盤ではなく軟弱な地盤でした。しかし護佐丸は、美しい高石垣を伴う強力な城を築くことに成功したのです。この工事により、彼は勇猛な将軍としてだけではなく、優れた築城家としても知られるようになりました。彼は1422年にこの城に移り、18年間在城しました。貿易の統制を含め、この城の周辺地域を支配していました。
The hill under the castle was soft ground, not rocky, but Gosamaru succeeded in building a strong castle with beautiful, high stone walls. This construction made him a great castle builder as well as a brave general. He lived in Zakimi Castle for 18 years since moving to it in 1422. He governed the area around the castle, while controlling the trading near the castle.

座喜味城の石垣~The stone walls of Zakimi Castle

1440年、琉球王国は護佐丸に対して、座喜味城の東にある中城城に移るよう命じました。王国に対抗して力をつけていた別の有力按司、阿麻和利が島の東海岸にある勝連城にあったからです。護佐丸は、現在我々が素晴らしい城跡として見ているように、中城城をも改築したのです。彼はまた、王国の親戚筋にもなり、緊密に連携していました。
In 1440, the king of Ryukyu Kingdom ordered Gosamaru to move to Nakagusuku Castle, located east of Zakimi Castle, as another great Aji, Amawari, who lived in Katsuren Castle located in the eastern coast of the island, grew in strength against the Kingdom. Gosamaru also improved Nakagusuku Castle like we can now see the great ruins of the castle. He also became a relative of the Kingdom to work closely with it.

護佐丸が改築した中城城~Nakagusuku Castle which Gosamaru improved
阿麻和利がいた勝連城~Katsuren Castle which Amawari owned

護佐丸非命に倒れる~Gosamaru dies unnatural death

ところが、護佐丸は王国への反逆者とみなされてしまい、1458年に阿麻和利によって滅ぼされてしまいます。阿麻和利から攻撃されたとき、護佐丸は自身への疑いのことを聞き、嘆き悲しんで、阿麻和利と戦うことなく自ら命を絶ったといいます。阿麻和利が王国と護佐丸を騙したのだと言われていますが、詳細は不明です。発掘によれば、護佐丸が去った後の座喜味城は、16世紀まで使われたとのことです。
However, Gosamaru was considered a rebel against the Kingdom, and beaten by Amawari in 1458. When Amawari attacked, Gosamaru heard the doubt about him, felt very sad, and killed himself without fighting with Amawari. It is said that Amawari deceived the Kingdom and Gosamaru, but the details are uncertain. Zakimi Castle after Gosamaru left, was used until the 16th century, according to the excavation.

座喜味城~Zakimi Castle

特徴~Features

石垣の特徴~Features of stone walls

現在、座喜味城跡はよく整備され、また維持されています。この城にはもともと2つの曲輪しかなかったので、場所自体はそんなに広くありません。主には石垣が残っていますが、最高で13mの高さがあり、とても美しく見えます。曲線を描く石垣が、頂点部分でつながり、扇状に広がっています。このような形状は、軟弱な地盤を補い、頂点の部分は見張りや防御地点として使われたと言われています。それぞれの曲輪にはアーチ型の門があり、他の石をつなぎ合わせるために楔形の石が使われています。この方法は珍しい方法で、このため沖縄のグスクの中では、座喜味城の門は最も初期段階のアーチ門であると考えられています。
Now, the ruins of Zakimi Castle are well developed and maintained. The site is not so large, because the castle originally had just two enclosures. The stone walls mainly remain and look very beautiful with at highest 13m height. They are curved walls jointed by their apexes, spreading fan-wise. It is said that such a shape can cover the soft ground, and the apexes could be used as the points for monitoring and protecting. Each enclosure has an arch-shaped gate which uses a keystone connecting other stones. It is a unique method and Zakimi castle gates are thought to be the first case for arch-shaped gates among Okinawa’s Gusuku.

城周辺の航空写真~The aerial photo of around the castle

美しく屈曲している石垣~The beautiful curved stone walls
楔石を使ったアーチ型門~The arch-shaped gate using a keystone
城跡の入口~The entrance of the ruins

二の郭~Second Enclosure

城跡の入口に入って、石垣に囲まれた二の郭の門の方に歩いていきます。このアーチ門は現存しているもので、修復がなされました。郭に入ると、内側から美しい曲線からなる石垣が目に入ります。それから一の郭へと続く石段とアーチ型の門も見えてきます。一の郭の門は一旦破壊され、石段も埋められてしまいますが、両方とも現在では復元されています。
You can enter the entrance of the ruins and walk to the gate of the Second Enclosure, surrounded by the stone walls. Its arch shaped gate is the original and has been repaired. After entering the enclosure, you will see the beautiful curved shape of the stone walls from the inside. You can also see the stone steps to the First Enclosure and its arch shaped gate. The gate was once destroyed, and the steps were buried, but now both have been restored.

二の郭の入口~The entrance of the Second Enclosure
二の郭の内部~The inside of the Second Enclosure
一の郭から見た二の郭~The Second Enclosure from the First Enclosure
一の郭へ続く門~The gate to the First Enclosure

一の郭~First Enclosure

一の郭の内側は、二の郭と似た形ですが、礎石を伴った建物跡があります。もとあった建物は、瓦の破片が見つかっていないため、杮葺きか萱葺きであったようです。一部分の石垣の上には登ることができますので、東の方には島の、西の方には海の素晴らしい景色を眺めることができます。
Inside the First Enclosure, its shape is similar to the Second Enclosure. It has the ruins of buildings with cornerstones. The original buildings seemed to have a shingled or thatched roof, because pieces of roof tiles were not found. You can also go up to part of the top of the stone walls, then you will have a great view of the island on the east, and that of the sea on the west.

一の郭の内部~The inside of the First Enclosure
建物跡~The ruins of the buildings
一の郭からの海の眺め~A view of the sea from the First Enclosure
一の郭からの島の眺め~A view of the island from the First Enclosure

その後~Later History

座喜味城は長い間放置されてきました。第二次世界大戦の間、城跡は日本陸軍により高射砲陣地として使われていました。戦後になってさえ、米軍によってレーダー基地として再度利用されたのです。これは城跡がまだ戦略的に重要な場所にあったと言えるのかもしれません。しかし工事により遺跡の一部は破壊されてしましました。1972年の沖縄日本返還の後は、直ちに国の史跡に指定されました。ついには、2000年から琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されています。
Zakimi Castle had been abandoned for a long time. During World War II, the ruins were used by the Japanese Army as the ground for anti-aircraft guns. Even after the war, they were reused by the U.S. Military as a radar station. That might show the ruins still had a strategic location, but part of stone walls were destroyed due to the construction. The ruins were designated as a National Historic Site immediately after the reversion of Okinawa to Japan in 1972. Lastly, they have also been on the World Heritage List as Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu since 2000.

1957年の座喜味城跡、沖縄県公文書館蔵~The picture of ruins of Zakimi Castle in 1957, owned by Okinawa Prefectural Archives(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

私の感想~My Impression

初めて座喜味城を訪れたとき、城の石垣が完全に復元、修復されていることに驚きを感じました。この城の美しい曲線状の姿は完ぺきに沖縄の景色にマッチしています。また、城跡のとなりにあるユンタンザミュージアムに行ってみるのもお勧めです。この城のことをもっと知るともに、周辺の地域の歴史や文化を学ぶことができます。
When I saw the ruins of Zakimi Castle for the first time, I was surprised to see the stone walls have been completely restored or repaired. Their beautiful curved appearance perfectly matches the scenery of Okinawa Island. I also recommend you to visit Yuntanza Museum next to the ruins. You can learn more about the castle as well as the history and culture of the area around the castle.

石垣の曲線~The curved stone walls

ここに行くには~How to get There

ここに行くには車がお勧めです。
那覇空港から:
車の場合、那覇空港自動車道に名嘉地ICから入り、西原JCTで沖縄自動車道に合流し、沖縄南ICで降りてください。城跡はそこから30分程かかりますが、城跡周辺に駐車場があります。
I recommend you to visit it by car.
From the Naha Airport:
By car, enter Naha Airport Expressway at the Nakachi IC, join Okinawa Expressway at the Nishihara JCT, and get off the expressway at Okihawa-minami IC. The ruins are about 30 minutes away from the IC. There are parking lots around the ruins.

リンク、参考情報~Links and References

世界遺産座喜味城跡、ユンタンザミュージアム(Yuntanza Museum)
萩原さちこの城さんぽ 第10回 座喜味城(Only Japanese)
・「列島縦断「幻の名城」を訪ねて/山名美和子著」集英社新書(Japanese Book)

98.今帰仁城~Nakijin Castle

沖縄北部の優美な城跡です
Elegant castle ruins in the northern Okinawa

立地と歴史~Location and History

北山王国の首都~Capital of Hokuzan Kingdom

14、15世紀頃、琉球諸島(現在の沖縄諸島)は貿易により栄えました。その結果、「按司」と呼ばれる多くの有力な豪族が中国や他国と貿易を行い、力をつけていきました。彼らは「グスク」と呼ばれる大規模な要塞を琉球諸島周辺に300以上築きました。やがて「北山」「中山」「南山」のという3つの王国にまとまっていきます。今帰仁城は北山王国の首都でした。
Around the 14th and 15th centuries, the Ryukyu Islands (what is now Okinawa Islands) prospered thanks to trading. As a result, many powerful clans in Ryukyu called “Aji” traded with China and other countries, and had great power. They built over 300 large-scale fortresses called “Gusuku” around the Ryukyu Islands. They eventually gathered three large groups called the Kingdoms of “Hokuzan”, “Chuzan”, and “Nanzan”. Nakijin Castle was the capital of the Hokuzan Kingdom.

城の位置~The location of the castle

発掘の成果によれば、この城は最初は14世紀の初め頃、沖縄本島北部の本部半島にある、100mの高さの丘の上に築かれました。しかし当初は丘の上の平地を柵で囲っただけだったようです。その後、北山王国の勢力が高まるにつれ、城は拡張され、15世紀までに正殿や長大な高石垣が築かれました。中国の古書には、この城や王国から中国への朝貢があったことが記録されています。当時の中国製陶器の破片が遺跡から発掘されています。
According to the excavation, the castle was first built on a 100m high hill in Motobu peninsula of the northern Okinawa Island around the beginning of the 14th century, but it was just plane area on the hill which was surrounded by fences. After that, the castle was developed with the main palace and long, high stone walls being built until the 15th century, while the power of the Hokuzan Kingdom grew. An old Chinese book records the castle and the kingdom bringing a tribute to China. Peaces of Chinese potteries at that time are also unearthed from the ruins now.

現地にある城跡の模型~The miniature model of the castle ruins at the site

2度の落城~Castle fell twice

最盛期にはこの城は、後に琉球王国になる中山王国の首都にある首里城に匹敵する規模となりました。ところが、城はそこから2度落城します。1416年、中山王国の家臣である護佐丸がこの城を攻撃しました。最後の城主、攀安知(はんあんち)は城外で護佐丸と戦いますが、彼の部下である本部平原(もとぶていはら)の裏切りに合い敗れてしまいます。それ以来、城は琉球王国のものとなり、島の北部を治めるために「監守」と呼ばれる行政官が置かれました。
At its peak time, the castle became as large as Shuri Castle, the capital of the Chuzan Kingdom, the later Ryukyu Kingdom. However, the castle fell twice after the peak. In 1416, a retainer of Chuzan Kingdom, Gosamaru attacked the castle. The last lord of the castle, Han-annchi fought with Gosamaru outside the castle, but his retainer, Teihara Motobu betrayed him, and he was lastly beaten. Since then, Ryukyu Kingdom owned and stationed an administrator called “Kanshu” in the castle to govern the northern part of the island.

監守の業績を記した記念碑~The monument for the achievements of Kanshu

1609年、薩摩の武士たちが琉球王国に侵攻したとき、真っ先にこの城を占領し焼き払いました。侵攻後、王国は薩摩の支配下に置かれますが、この城には領主は置かれませんでした。その代わりに沖縄の人々が城を祈りの地として維持したのです。
In 1609, when the Satsuma warriors invaded Ryukyu Kingdom, they first captured and burned the castle. The kingdom was under the control of Satsuma after the invasion, but the castle had no lord. Instead, the people of Okinawa maintained the castle as a spiritual center.

祈りの場所の一つ、城内下之御嶽(うたき)~Jonai Shitano-Utaki, one of the places for praying

特徴~Features

城跡に入る~Entaring the castle ruins

現在、今帰仁城跡は素晴らしい景色と自然の中に位置しています。城跡の近くには便利な施設もあります。グスク交流センターでは、城跡へのチケットを買ったり休憩することができます。また、歴史文化センターでは、城やその周りの地域のことをより深く学ぶことができます。
Now, the ruins of Nakijin Castle are located in wonderful views and nature. There are also useful facilities near the ruins. One of them is the Gusuku Exchange Center where you can buy a ticket to the ruins and rest. The other is the History & Culture Center where you can learn more about the castle and the area surrounding it.

城周辺の航空写真~The aerial photo of around the castl

城跡の入口に歩いていくと、見事な曲線を描いた高石垣が目に入っていきます。この石垣は大隅(ウーシミ)の城壁と呼ばれ、高さが8mあり、この城の中では最も高いものです。城の守備兵は、曲線の頂点部分から敵に対して反撃することができました。城跡ガイドの方は、この石垣は中国の万里の長城に影響されていると説明しています。観光客は、現在石垣の脇にあるアーチ門を通って城跡に入っていきます。この門は1962年に復元されたものです。
When you walk to the entrance of the ruins, you will see finely curved high stone walls. They are called Ushimi Stone Walls and 8m high, the highest ones in this castle. The defenders of the castle could counterattack enemies from the top of the curve. The Guides of the ruins say that the walls were inspired by the Great Wall of China. Visitors will now enter the ruins through the arch gate beside the stone walls which was restored in 1962.

大隅(ウーシミ)の城壁~Ushimi Stone Walls
遺跡入口のアーチ門~The arch gate at the entrance

石の階段が城の中心部に向かって伸びていますが、これは最近になって観光用に作られたものです。旧道が階段の右側に沿って残っています。敵からの攻撃から守るため、狭く、急で、岩がごつごつした道になっています。
The stone steps go straight to the center of the castle, but they were built recently for tourism. The Old Pathway goes along on the right side of the steps. It is a narrow, steep and rocky path for defense against attacks in the past.

石段~The stone steps
旧道~The Old Pathway

城の中心部~Center of Castle

城の中心部は3つの部分に別れています。「大庭(ウーミャ)」は入口に最も近い場所であり、行事の際に使われた広場です。行事のために正殿、北殿、南殿といった建物がありました。次の場所は、「御内原(ウーチバル)」で城で奉仕する女性たちが住んでいました。ここはまた城の中では神聖な場所でした。現在では、ここから北の方角に素晴らしい海の景色が望めます。最後は「本丸」で、恐らくは城主が住んでいた場所です。発掘によっていくつもの建物があったことがわかっています。
The center of the castle has three parts. “Umya” Court is the first part from the entrance, which is was used as the square for ceremonies. There were the Main, North, and South Palaces for the ceremonies. The next part is called “Uchibaru” Ground where the women who served the castle lived. It is also a very religious place for the castle. You can now have a great view of the sea in the northern direction. The last part is the Main Enclosure or “Honmaru” where the lord of the castle probably lived. The excavation found that several buildings had been built.

大庭(ウーミャ)~“Umya” Court
御内原(ウーチバル)~“Uchibaru” Ground
御内原からの眺め~A view from “Uchibaru” Ground
もう一枚~Another view
本丸~The Main Enclosure

背後にある郭~Enclosure in Back

中心部からは、城の背後の部分が見え、そこに行くこともできます。「志慶真門郭(しげまじょうかく)」と呼ばれる場所で、ここもまた、長大な石垣に囲まれています。城主に仕える人たちが住んでいたと考えられています。この郭に降りていくときには、古石灰岩でできた石垣を間近に見ることができます。
You can see and go to the back of the castle from the center. This is called “Shigema-jokaku” Enclosure which is also surrounded by high, long stone walls. It is thought that the closest subjects who served the lord lived at the enclosure. You can also see the walls made of Paleozoic lime stones closely when you go down to the enclosure.

本丸から見た城の背後部分~The back of the castle from the Main Enclosure
志慶真門郭(しげまじょうかく)~“Shigema-jokaku” Enclosure
石垣~The stone walls

その後~Later History

第二次世界大戦で破壊された他の遺跡と異なり、今帰仁城跡は今に残りました。沖縄戦の戦場からは遠かったからです。戦後、城跡は1972年に国の史跡に指定されました。ついには、2000年から琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されています。
The ruins of Nakijin Castle remained though many other ruins were destroyed during World War II, as they were far away from the battlefields of Okinawa. After the war, they were designated as a National Historic Site in 1972. Lastly, they have also been on the World Heritage List as Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu since 2000.

今帰仁城跡の正面~The front side of Nakijin Castle Ruins

私の感想~My Impression

私が初めて今帰仁城の石垣を見たときは、ただ単に石を積んであるだけのように見えました。日本の本土にある石垣は通常土か細かい石の芯の部分を覆って築かれます。その一つの理由は本土は地震が多く発生するので、石垣は強固な中心部分が必要だからでしょう。沖縄にはあまり地震がありませんが、雨が多く降ります。今帰仁城のような沖縄の城の石垣は雨を素通りさせます。後からその違いの理由を学びました。いすれにせよ、素晴らしい石垣を持つこの城跡は、沖縄の自然とよくマッチしています。
When I saw the stone walls of Nakijin Castle for the first time, they looked like the stones are just piled simply. This is because stone walls in the Mainland of Japan are were usually built covering their core of soil or small pieces of stone. One of the reasons for it this is that the Mainland often suffers from earthquakes, so stone walls needs a strong core. On the other hand, Okinawa has few earthquakes, but has a lot of rain. The stone walls of Okinawa’s castles like Nakijin can make rain slip through. I learned the reason for the difference later. Anyway, I think the ruins with elegant stone walls match the nature of Okinawa.

今帰仁城の石垣~The stone walls of Nakijin Castle

ここに行くには~How to get There

ここには車で行かれることをお勧めします。
那覇空港から:
車の場合、那覇空港自動車道に名嘉地ICから入り、西原JCTで沖縄自動車道に合流し、許田ICで降りてください。城跡はそこから30分程かかり、城跡周辺に駐車場があります。
バスの場合は、運天港行きのやんばる急行バスに乗ってください。空港から約2時間半かかりますが、城跡近くの今帰仁城址入口バス停で降りてください。
I recommend you to visit it by car.
From the Naha Airport:
By car, enter Naha Airport Expressway at the Nakachi IC, join Okinawa Expressway at the Nishihara JCT, and get off the expressway at Kyoda IC. The ruins are about 30 minutes away from the IC. There are parking lots around the ruins.
By bus, you can take the Yanbaru Express Bus bound for Unten Port. It takes about 2.5 hours from the airport to the Nakijin-joshi-iriguchi bus stop near the ruins.

リンク、参考情報~Links and References

世界遺産 今帰仁城跡(Officisl Website)
・「列島縦断「幻の名城」を訪ねて/山名美和子著」集英社新書(Japanese Book)
・「琉球王国、東アジアのコーナーストーン/赤嶺守著」講談社(Japanese Book)

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